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 國仕武想 月詠


激しく大地を打ちつける雨。
その雨は、彼女の命の鼓動まで掻き消そうとしている。
今、私の頬を流れているのは涙だろうか?
ベナウィにはそれすらも分からない。
ただ分かるのは、彼の腕の中にいる少女が遠くへ逝こうとしているということだけだ。
彼女が何をしたというのです?
『何か』に問いかける。
答えなど、返ってくるはずがないのは分かっている。
だが、今のベナウィにはそれでも問い続けることしか出来なかった。


――この國を…、守り抜いて…。


彼女が漏らした言葉。
それっきり、彼女が言葉を紡ぐことはなかった。
雨が彼女の温もりを奪っていく。
駄目だ、このままじゃ彼女が…。
そう思ったベナウィは、無意識のうちに力一杯彼女を抱きしめていた。
雨が温もりを奪うなら、自分が暖めてやればいい。
誰が見ても彼女は到底助からない。
彼がしている行為は、まるで無意味なことである。
しかし、今のベナウィにはそんな安易な判断さえ出来ないほど焦燥していた。
目の前で、大切な人が今にも逝こうとしている。
そんな光景を目の当たりにして、誰が正常を保てようか。
彼は祈った。
もし神がいるなら、この子を助けてやって欲しい。
だが、現実とはいつも残酷だ。


命の灯火は、その光を失った。



「ーーーーーーーーーーーーー!!」


がばっ、と勢いよく躯を起こす。
荒い息をしながら、ベナウィは辺りを見回した。
「夢…、ですか…」
しばらくの間そのままでいたものの、汗でべとつく夜着に不快感を覚え着替える。
その際に、外が大雨であることに初めて気がついた。
よく聞けば、かなりの音がする。
それすらも分からないほど動揺していたのだろう。
戸を開けると外は暗く、大粒の雨が大地を揺るがしていた。
時折雷鳴も聞こえる。
「しばらくは見ないと思っていたのですが…」
この雨の所為でしょうか、と続く言葉を遮り戸を閉めた。


この男、ベナウィは、随分と長い間この國に仕えている。
今はなきケナシコウルベの時代から仕えている者は、彼を含めてもそう多くはないだろう。
ケナシコウルベと共にその命を散らそうと思っていた彼だが、ハクオロの命により今もこうしてこの國に仕えている。
彼にとって國に仕えることは、生きる意味であり、彼の全てである。
この國のために生き、この國のために死ぬ。
ここまで國に執着している者はそうはいないだろう。
だが、彼にはそうする確かな理由が存在するのだ。


話は遡ること6年前、ちょうど彼が侍大将という役に就いてしばらく経った頃である。
当時、10代の侍大将というのは異例のことで、國中はその噂で持ちきりだった。
彼にただならぬ期待を寄せる民もいれば、心底不安に思う民もいた。
「きっと何かでかいことをやらかしてくれるに違いないぜ」
「あんな若いのに任せて、この國は大丈夫なのかねぇ…」
などと言う声が、各地から飛び交っていた。
そんな噂を全く耳に入れず、ベナウィは自分に課せられた仕事を難なくこなしていった。
およそ欠点のない男と思われがちだが、彼には唯一の欠点があった。
無愛想。
従順で、どんなに難しい仕事でも不平1つ言わず確実にこなす。
國にとって、これほど素晴らしい人材はないだろう。
だが、無愛想という点で同属の兵があまり彼をよく思ってなかったのは事実である。
戦場という場で愛想など必要はないが、日常でもピリピリとした雰囲気を保たれては、気が滅入るものだ。
これも、若くして侍大将の称を得た彼が、部下に見くびられてはいけないという考えからくるものならまだマシなのだが、彼の無愛想は天然である。
実際、彼が笑ったところを見た者はいない。
酒飲みの場で、皆が大爆笑する中、彼1人だけがむっつりとした顔で酒を飲んでいる。
『大将を笑わせたら賞金を出す』
などと、馬鹿なことを言う兵もいた。
勿論、その賞金が誰かの手に渡ることはなかったのは言うまでもない。


侍大将となったベナウィがちょうど7度目の出陣で、1つの國をケナシコウルベの勢力下に加えた後のこと。
インカラ皇からの『お褒めの言葉』を貰ったベナウィは、自室へ戻ろうとしていた。
その途中、背後からベナウィに駆け寄ってくる男がいた。
足音で『彼』だと判断したベナウィは、歩くのを止め振り返る。
「うぃーっす!」
大きく右手を挙げながら駆け寄ってくる男、侍大将であるベナウィに対して軽い挨拶をする。
はぁ、とベナウィはため息をついた。
男の名はセイトゥレイド。ベナウィと同期に國に仕え始め、今はベナウィ率いる騎兵隊の副隊長を務めている。
いわば、ベナウィの右腕的存在である。
背はベナウィよりも少し高いくらいで、お世辞にも副隊長向きの躯つきとは言えない。
しかし、そのどちらかというと華奢な躯から生まれる腕力は、大の大人10人分に匹敵するという噂もある。
が、噂はあくまでただの噂。『強い』という話にどんどん尾びれがついて最終的にそうなったのが真実。
しかし、その実力は本物。10人とはいかないまでも、3、4人くらいには匹敵するだろう。
「少しは隊長と副隊長という身分を弁えた挨拶は出来ませんか、セイト」
ベナウィは呆れた、という感じで言葉を放った。
「まぁまぁ、いいじゃねーか。今は俺たちしかいないんだしよ」
セイトゥレイドはベナウィの肩を軽く叩きながら言った。
彼が自分の上官、且つ國の侍大将であるベナウィに対してこうも気安く話しかけるのには理由がある。
セイトゥレイドとベナウィは、同じ村出身のいわゆる幼友達という間柄である。
ベナウィが『セイト』と愛称で呼ぶのも昔からである。
勿論、ベナウィがつけた愛称ではないのは言うまでもない。
セイトは、「長ったらしい名前で呼ぶのは勘弁してくれ、セイトでいい」と言う。自己紹介での決まり文句である。
だから彼を『セイト』と呼ぶ人間は結構いる。
セイトは、大雑把な性格で口も悪い。
それ故、上の人間に注意されることもよくあることだ。
だが、その剣の実力と常識を越える運動能力の高さは國も一目を置いている。
彼が副隊長という役に就いているのはそれ故である。
また、ベナウィ隊が皇から課せられる難関な仕事をこなすことが出来るのも、彼のお陰と言っても過言ではない。
攻略不能と言われた城を、ベナウィ隊がわずか3日で落としたのは有名な話である。
ベナウィの緻密な作戦に、セイトの敵の予想を超える行動力。
まさに向かうところ敵なし、と言った組み合わせである。
「もう少し自分が副隊長であることに自覚を持ってください。部下に示しがつきませんよ」
こうやってベナウィがセイトに注意するのも日常の出来事となっている。
そして、それをセイトが軽く流すのもまた日常の出来事である。
「堅いこと言うなって。それよりさ、明日暇か?」
セイトが唐突に笑顔で尋ねてくる。
ベナウィは、突然のセイトの誘いに若干戸惑った。
この國に仕え始めてから随分経つが、彼がこうして自分を誘ってきたのは初めてである。
勿論、訓練などの誘いは何度もあった。
しかし、今の彼の顔を見れば訓練などの誘いではないことは誰でも分かる。
満面の笑みで、何かに期待を寄せてる子供のような顔で誰が訓練の誘いをするだろうか。
「明日は特に予定はありませんが…」
「本当か!」
セイトの顔がますます明るくなった。
何がそんなに嬉しいのかは、この時のベナウィにはまだ理解できなかった。
だが、次の言葉を聞いたとき、何故セイトが喜んでいるのかがベナウィにもすぐ分かった。
「だったらさ、アマギキに行こうぜ」


アマギキ。
ベナウィとセイトの生まれ故郷である小さな集落。
人口は数十人程度の集落だが、自然に恵まれ、村人は特に不自由なく暮らしている。
この戦乱の世の中、これといった被害もない村はそう多くはないだろう。
実を言うと、國に仕え始めてから一度も村に戻ったことはない。
正確に言うと、戻る機会がないのである。
一兵士だった頃は、訓練などで忙しく自由な時間などほとんどない。
侍大将となった今でも、部下の訓練などで忙しい。
また、侍大将が私用で長時間國を離れるのも良い行動とも言えない。
「私用で國を離れるわけには…」
ベナウィがその旨を伝えようとした時、待ってましたと言わんばかりにセイトが遮る。
「そう言うと思ってちゃんと許可は取ってやったぜ」
セイトが皇直筆の承諾書を取り出す。
流石、行動だけは早い男である。
と言っても、あの皇の事だ。故郷に帰りたいから許可をくれと言って許可をくれるような皇ではない。
セイトに言葉巧みに騙されている姿が目に浮かぶ。
事実、皇の前で延々と近辺の村の治安について語り、皇が話に飽きてきた所を見計らって調査という形で承諾を得たのである。
勿論、会話の中で皇の理解できる範囲の政用語をほとんど使っていないのは言うまでもない。
ベナウィはというと、呆れ半分、嬉しさ半分と言ったところだ。
後日、ベナウィの指示により頭のきれる側近が配属されたのは言うまでもない。
セイトに丸め込まれる皇とその側近に多少なりの不安を感じたのだろう。
「仕方ないですね。その代わり、調査もちゃんと実行します」
「え?」
セイトが驚きの表情を表す。
その驚きは、ベナウィの『調査』という言葉に対してのものだった。
やはり、と言わんばかりにベナウィはため息をついた。
「どうせ近辺の村の治安が云々と聖上に言ったのでしょう?」
「な、なんで分かるんだ!?」
「つい最近、あなたに近辺の村の治安について話した記憶があります。
 ちゃんと聞いてないと思ってましたが、一応頭の片隅には残っていたようですね」
ベナウィは少し嫌味混じりに言ったが、彼にそんな嫌味は通じるはずもなく…。
「やっぱお前ってすげぇなぁ」
などと逆に感心される始末である。
「とにかく、ちゃんと調査も行いますよ」
ベナウィは念を押して言い、自室へと足を進めた。
「はぁ〜」
その場に残されたセイトが大きくため息をついた。
彼も彼なりにベナウィの性格について悩んでいるのである。
どうしてもっと素直になれないのかねぇ…。
俺は疲れるだけだと思うけどな。
笑う門には福来たる、ってね。
などとあれこれ思った後、彼も自室へと足を進めた。


翌日、早朝からベナウィたちは調査に出ることになった。
アマギキまではウマを飛ばして2刻程。
日が沈むまでには戻るとのことなので、実際それほど悠長に過ごす時間はない。
ベナウィは、白いウマを小屋から出し頭を撫でた。
このウマ、名前はレヴンというのだが、騎兵専用に丹念に育てられたものである。
勿論、名前はベナウィがつけたものではない。前騎兵隊長がつけた名前だ。
セイトが、『小ベナウィ』、『白ベナ』などとあれこれ案を出したが、採用されるはずはない。
ウマといっても、白いウマは珍しく、騎兵隊長のみが乗れる代物である。
このウマと共に戦うようになってそれ程時は過ぎていないが、随分と慣れたものだ。
セイトはというと、入隊当時からの乗り慣れたウマにまたがり、出発はまだかと待ち焦がれているようだ。
「それでは、これより出発します」
ベナウィが、同行する数名の部下に声をかける。
「はっ!」
ウマにまたがったまま敬礼する部下を確認すると、ベナウィは先陣を切って駆けだした。


行き着く村々で、その治安状況と村人の意見などを聞いてまわる。
こうやって足を運んで聞いてみると、結構色々な意見があるものだ。
「最近少し税が重い気がするんですよ。もう少しまけてもらえませんかねぇ」
「この間の雨でやられちまってよ、今年は少し収穫が減りそうだわ」
「嫁になってくれる人が見つからないんですよぉ。なんとかしてくださいよぉ」
などと、意見はバラバラである。
最後のはどうでもいい気がするが…。
「やはりこの間の雨で畑がやられたようですね。予想より被害が大きいと思います」
ベナウィが連れ添いの部下と会話をしている。
部下もあれこれとベナウィに報告しているようだ。
そんな中、セイトはというと。
「よしっ!ほらっ!」
村の男の子と木の棒で打ち合いをしていた。
「まだまだ、そんなんじゃ好きな女も守れないぞ」
片手で軽く子供の攻撃を受け流す。
気がつくと、まわりにはたくさんの子供が集まっていた。
子供たちが順番にセイトに挑む。
まわりからは、「がんばれー!」や「行けー!」などの応援も飛び交っている。
真面目に仕事をしないセイトに注意しようと思ったが、ああやって村の子供たちと楽しそうにしているのを見せられると、どうもその意志が鈍る。
それに今行くと、自分が悪者になりかねない。
今回は大目に見ましょう。
ベナウィはそう思い、今すべき仕事を続けた。


近辺の村での調査が終わったのは、ちょうど昼過ぎであった。
先程の村から少し進んだところに、大きな分かれ道がある。
その道は、大きく東西に分かれている。
北に進むと山があり、その山を越えると隣国なのでベナウィたちの管轄ではない。
そして、この道を西に進むとアマギキがあるのである。
「まだ時間があるので、もう少し続けましょう。私とセイトは西側にある村を
 調べますので、あなたたちは東側をお願いします。2刻後、ここで合流します」
部下にそう命令し、その場で別れる。
ウマにまたがりアマギキを目指す途中のことである。
「上手いこと言うじゃねーか」
セイトがそう言う。
部下たちと別れ、自分たちだけが西側、つまりアマギキへ行けるように提案した時のことを言ってるのだろう。
「あなた程思い切った行動は出来ませんよ」
またしてもベナウィの嫌味が飛ぶ。
が、やはりセイトに通じることはない。
「ま、動くことが俺の特技だからな」
などと言って大笑いしている。


ウマに乗りしばらく進むと、もくもくと煙が上ってるのが目につく。
火事などの煙ではなく、生活の煙だ。
子供の頃、何度も見てきた光景だ。
それを見ると、帰ってきたという感じがする。
「見えてきたぞ!」
セイトがはしゃぎながらウマの速度を速める。
ベナウィもそれに続いた。


村の入り口でウマを止め、手で引きながら村に入る。
すぐに村人が気づき、何事かと集まってくる。
目をしかめて、その姿を確認しようとする老人もいれば、木陰からじっと見つめる子供もいる。
また、ベナウィたちを見てひそひそと話をする者もいる。
恐らく、ベナウィたちがこの村出身と知らない後の者たちであろう。
そんな事は気にせずに、ベナウィはある家を目指した。
この村の村長の家である。
セイトはというと、真っ先に自分の家へと駆けていった。
ベナウィがまず村長の家へ向かったのにはそれなりの理由があった。
まず、久しぶりに帰ってきたことの報告。
少なくとも、長い間村を空けた身である。
自分たちを知らぬ者も大勢いることだろう。
そんな人々に、村長から紹介してもらわないことには始まらない。
そして、ベナウィの家が村長の家であるということだ。
ベナウィは、もともとこの村の生まれではない。
もっと栄えていた町の生まれである。
彼が幼い頃、町が戦火で焼かれ滅びたのだ。
運良く逃げ延びたベナウィと彼の母は、この集落に辿り着いた。
そして、村長にベナウィを預けた後、彼の母は息を引き取ったという。
本人に当時の記憶はあまりなく、この事実を知るのは村長と一部の村人だけである。
が、彼が村を出る際に、当時のことを村長が話したのだ。
今となっては、懐かしい話である。
その時彼は、昔よく遊んだ従弟がいたことを思い出したが、当時の彼にはそれを調べる力などあるはずがなかった。
後に、賊として忍び込んだ従弟と再会するのだが、それはまた別の話である。


村の奥にある小高い丘にあるその家に辿り着き、ベナウィは若干緊張気味に戸を叩いた。
「開いておるぞ」
中から聞き覚えのある老婆の声がするのを確認すると、ベナウィは戸を開けた。
「失礼します」
戸を開けたベナウィの目に飛び込んできたのは、食器を持って戸の前を横切ろうとしていた少女であった。
思わず少女と目が合う。
少女もじっとこちらを見たまま動かない。
この少女、どこかで見たことが…。
「誰じゃ?」
そんなベナウィの思考を遮ったのは、村長の声だった。
はっ、と我に返り村長の声をした方に目をやる。
少女もまた我に返り、ちらちらとこちらを気にしながらも自分の仕事に戻ったようだ。
ベナウィは村長の前に行き、片膝を地面についた。
「お久しぶりです、村長」
村長はベナウィに顔を近づけ、マジマジと見つめた後…。
「おお、お主、ベナウィかい?」
と、嬉しそうな表情で言った。
「はい、本当にお久しぶりです」
「噂は色々聞いておるぞ。何でもケナシコウルベの侍大将になったそうじゃな」
「はい、お陰様で…」
とベナウィが言った矢先、すぐそこで耳に響く嫌な音がした。
驚いて振り返ると、先程の少女が涙目でわなわなと震えている。
足下には割れた食器。
どうやら音の原因はそれらしい。
「べ、べ、べ、べ、べ…」
少女が奇声を発する。
「べ?」
ベナウィも、少女につられて声を発する。
「ベナちゃん!!」
少女はそう言うと、勢いよくベナウィの方へと飛び込んできた。
ベナウィは反射的にそれを避けてしまう。
「あ…」
ベナウィがそう漏らした瞬間、少女は地面に顔を埋めていた。
「あの…、大丈夫ですか?」
ゆっくりと頭をあげる少女に、声をかける。
いきなり飛び込んできたのは彼女だが、それを避けてしまった自分にも若干の責任があると感じたのだろう。
これくらいの少女なら、受け止めても問題はなかっただろう…。
少女は起きあがり、涙目でベナウィを見る。
少女の涙を見て、ベナウィが戸惑う。
わ、私が何をしたというのです…。
そう思いながらも少女に手を差し伸べる。
「べ、ベナちゃん…」
少女がその手を取って立ち上がる。
ベナちゃん…?
ベナウィがその言葉に懐かしさを覚えた。
記憶がどんどん過去へと遡る。
確か、私をそう呼ぶのは…。
そう思った次の瞬間、思わずその少女の名前を口にしていた。
「クレハ…?」
ベナウィがそう言った瞬間、少女が嬉しそうな顔で大きく頷いた。
「うん、そうだよ!覚えててくれたんだ」
いや、今思い出したのですが…。
と、言いそうになり思わず口を閉じる。
この場合そう言わない方がいい。ベナウィの直感がそう語っていたのである。
「ええ…。ここにいたので少し驚きましたが」
ベナウィがクレハをすぐに思い出せなかった理由がこれである。
クレハには自分の家がある。
見る限り、村長も病気で人の助けがいるような感じはしない。
だから、この場にいるクレハがあまりに意外だった。
「その子の家はもうないんじゃ。だからわしが面倒みとるんじゃよ」
村長が2人の会話に割って入った。
「お前さんたちが出て行ってから1年くらい経った後じゃったかのぉ。村が流行の病気にかかってね。
 大勢の者が死んじまった。その子の親もな。この村でお前さんたちのことを知ってる者はもう少ないよ。
 まぁ、後で新顔にも紹介してやろうかねぇ」
そう言って村長は奥の部屋へと入っていった。
その場に取り残されたベナウィとクレハ。
正直言って気まずい状況である。
少し長い沈黙が続く。
ベナウィは、こんな時何と声をかけていいか分からない自分に若干の苛立ちを覚えた。
そうしているうちに、クレハの方から話しかけてきた。
「ほ、ほらっ。随分前の話だし、私ももう気にしてないし。折角再会できたんだからもっと明るく、ね」
クレハが笑顔でそう言った。
その笑顔が作り笑顔であることは、誰でも容易に分かるものであった。
だけどベナウィは、「そうですね」としか言うことが出来なかった。
この時ベナウィは、激しく自分に苛立っていた。
國を良くするためにと村を出て、ケナシコウルベに仕え始めた。
だが、そんな矢先に故郷と呼べる村で流行の病気。
親しかった者も、大勢死んでしまった。
クレハの両親も…。
そんな小さなものも守れずに、國の侍大将?
だから何だと言うのです?
そんな肩書きが欲しくて私は國に仕えているのではない。
私が國に仕え、高い地位を得て、無理のある重税を減らし、各地の治安を良くし…。
皆に、皆に少しでも楽な暮らしをして欲しかったから。
たった、それだけのことなのに…。
その結果がこれですか?
もっと早く、病気のことを知っていれば…。
もっと早く、もっと早く…。。
そんな考えばかりがベナウィの頭の中を駆けめぐった。
だが、それも無理な話である。
ベナウィが村を出て1年と言えば、騎兵隊の中でそれなりの地位を得た頃である。
ましてや、ただの使い捨て同然の兵でもあった彼に各地の状況など知る余地もない。
「ベナちゃん、そんな怖い顔しないで。仕方なかったんだから…」
クレハにそう言われ、ベナウィは初めて自分が怖い顔をしていたことに気づいた。
「そうだぜ、ただでさえ無愛想なんだからよ」
よう、っという感じで右手を軽く挙げ、セイトが入ってきた。
「もしかしてセイトちゃん!」
クレハの顔がパッと笑顔になる。
「おうよ、セイトちゃんだぜ〜!久しぶりだな、クレハ」
きゃいきゃいと騒ぐクレハの頭をセイトがぽんぽんと叩いている。
「セイト、御両親は…」
ベナウィは気になっていたことをセイトに尋ねた。
彼の両親には子供の頃随分とお世話になったものである。
大勢の村人が死んだと聞き、彼の両親のことが気になるのは当然である。
「あぁ、ピンピンしてたぜ」
ベナウィの質問に、セイトはケロっとした顔で答えた。
「お前も早く顔出してやってくれよ。あいつら、俺が副隊長になったって言うのにお前のことばっか喜ぶんだぜ。
 ったく、自分の息子が頑張ってんだからもっと言うこともあるだろうによ」
そう不平を漏らすセイトを見て、クレハがくすくすと笑った。
「何だよクレハ、お前まで」
「ううん、違うよ。2人ともあの頃と変わってないから」
そうだな、と言ってセイトが頭をポリポリとかいた。


このクレハという少女、ベナウィとセイトのもう1人の幼友達である。
ベナウィたちと同い年だが、その容姿や行動がどうも子供っぽい。
当時のアマギキは子供が少なく、彼ら3人を含めても十数名しかいなかった。
そんな中で、一際仲の良かったのがこの3人である。
あちらこちらと冒険をするセイト。
好奇心旺盛なクレハはセイトの後に続く。
そんな2人が心配なベナウィもそれに続く。
大人たちから立ち入り禁止と言われた場所に行くこともよくあった。
そして、見つかった時に尻拭いするのがいつもベナウィである。
そんな関係を長い間続けてきた3人だが、別れは突然訪れた。
アマギキに徴兵が来たのである。
何人かの大人が連れて行かれる中、ベナウィとセイトが自ら志願したのである。
当時からこの國に仕えることを目標としていた彼らにとって、徴兵は目標への第1歩であった。


「俺も連れて行ってくれねぇか」
村から少し離れた場所で、セイトがケナシコウルベの雑兵数名に声をかける。
「ああ?」
雑兵たちは振り返り様、あからさまに怪訝な顔をした。
無理もない話である。
自分よりも遙かに若い子供が兵として連れて行ってくれと言っているのである。
雑兵たちは大声で笑った。
「坊主、寝言は寝て言いな」
雑兵はセイトに近寄ると、馬鹿にしてその頭に手を置こうとする。
そんな雑兵の手をセイトは思いっきり払いのけ、鋭く睨んだ。
「子供扱いするんじゃねーよ」
その態度に腹を立てたのか、雑兵はみるみる顔を赤くしていく。
「この餓鬼がぁ!調子に乗るんじゃねぇぞ!!」
セイトの胸ぐらを掴み、拳を振り上げる雑兵。
が、その拳がセイトに触れることはなかった。
「なっ!」
雑兵の腕を、ベナウィがしっかりと掴んでいた。
「だったら、私と勝負して頂けませんか?」
ベナウィが掴んだ腕に力を込めながら言う。
雑兵はセイトの胸ぐらの手を放し、ベナウィの手を力一杯振り解く。
「いいじゃねぇか、この餓鬼が!俺に勝てたら望み通り連れてってやるよ」
「おい!そんな餓鬼に構ってないで、早く行くぞ」
「まぁ待てよ。この餓鬼共に現実ってやつを見せてやるからよ」
そう言って雑兵は、腰に差してあった剣をベナウィの足下に投げつけた。
「そいつで勝負してやるよ。真剣勝負だ。死んでも文句言うんじゃないぜ」
ベナウィが足下の剣を拾おうとしたとき、先に剣を手にしたのはセイトだった。
「セイト…」
「ここは俺に任せろよ、ベナウィ」
セイトが剣をじろじろ見ながら言った。
「どっちでもいいから早くかかって来いよ、糞餓鬼が」
雑兵が挑発をしてくる。
他の雑兵は早く終わらしてくれ、と言った感じで眺めている。
この時、雑兵に連れ出された村の男たちがこっそりと逃げ出したのだが、それに雑兵が気づくのはもっと後の話である。
「それじゃぁ、行かせてもらうぜ」
セイトはそう言って地を蹴った。
雑兵とセイトの距離はみるみると縮まっていく。
「予想以上に動きが早いな…。だが、早さだけでは勝てやせんよ!」
雑兵が片手で剣を大きく振り上げる。
その隙を狙い、セイトがさらに加速する。
セイトの足なら、雑兵が剣を振り下ろすよりも先にその剣を突き刺すことが出来るだろう。
「かかったな!」
雑兵はニヤリと笑い、もう片方の手で剣を抜いて横に薙いだ。
それに遅れる形で振り上げた剣を下ろす。
横薙を咄嗟に防いだとしても、一の太刀が頭をかち割る寸法である。
だが、横薙を防ぐことも頭をかち割ることもなかった。
雑兵が腰の剣を抜く直前で躯を大きく後ろに倒し、そのままの勢いで地を滑る。
大きく開かれた雑兵の足の間を抜けたセイトは、剣で足に一撃を加えた。
「ぐおぁっ!」
勝ったと思った瞬間に足をやられた雑兵はその場に倒れ込む。
そして、セイトの剣が雑兵の首筋に伸びた。
「『死んでも文句言うんじゃないぜ!』だっけ?」
「もういいでしょう」
ベナウィが声を挟んだ。
その声を聞いたセイトの動きが止まる。
セイトは剣を引き、その場から離れた。
「これでわかったでしょう。約束です。私たちを連れて行って貰います」
無惨に倒れている雑兵に対してベナウィが言った。
他の雑兵たちは今の試合を見て呆然としている。
「…だだ」
倒れた雑兵の男が何かを呟いた。
足を押さえながらゆっくりと立ち上がる。
「おいおい、その足じゃもう無理だろ」
セイトがぼやく。
「まだだ!餓鬼共め、調子に乗りやがって!」
剣を支えにして、荒い息をつく雑兵。
誰が見ても戦えないのは一目瞭然である。
「そこまでじゃ!」
仕方ねぇな、とセイトが再び剣を構えようとした時、少し離れた場所から声が響いた。
その場にいた者皆がその声の方を向いた。
そこにいたのは上半身裸の大柄の老人。
がっしりと出来上がった筋肉と、その躯に刻まれた数多くの傷痕。それは幾多もの戦を勝ち抜いてきた証である。
さらに、同年代の老人とは明らかに違うその鋭い眼は生気に満ちあふれている。
「師匠…」
ベナウィが呟く。
その言葉を聞いて、その場にいた雑兵の顔が驚愕の表情へと変わる。
「あ、あなた様はもしや…、伝説の武士、シグレ様では」
雑兵の1人が、声を強ばらせながら尋ねた。
「いかにも」
老人が即答する。


この老人、名をシグレという。
数十年前、たった1人で数百人の敵陣に乗り込み無事に生還したと言われている。
どこかの國に仕えていたというわけではなく、世界各地を渡り歩いては戦に参戦したという。
当時、あらゆる國が彼を欲しがっていたが、結局どの國に仕えることなく姿を消した。
海を越え、外の大陸へと渡ったとも噂されていたが、実際は人のいない場所を転々としていたのである。


「な、なぜあなた様のようなお方がこのような場所に…」
「面白いのを見つけてな…」
シグレはそう言って顎でベナウィとセイトを指した。
雑兵はシグレとベナウィたちを交互に見る。
「お前さんじゃ、いくら頑張ってもこの2人は勝てやせんよ」
シグレがセイトに負けた雑兵に近寄りそう言った。
ぐっ、と悔しそうな顔をしながら雑兵は俯いた。
「どうじゃ、こやつらを連れて行ってやってはくれんか?」
懐から取り出した傷薬で雑兵の足の治療をしながらシグレは言った。
「…はい」
雑兵は躊躇いがちに答えた。
セイトに負けたことを認めたくはなかったものの、あの伝説の武士にこう言われては仕方がない。
事実、彼の強さは本物だった。シグレの下で学んだというのが嘘でないことは、その場にいた雑兵全てが理解できることだった。
「見たところ、お前さんは口は悪いようじゃが、そこらの兵よりは士魂があるようじゃ。
 こんなヒヨッコに負けて悔しいじゃろ。だったらもっと精進せい。相手が強けりゃ強いほど、
 武士は強くなれるというもんじゃ。カッカッカ…」
シグレが大口を開けて笑う。
それを遠くで見ていた雑兵が、恐る恐る口を開いた。
「そ、その…。シグレ様。どうか我が國に来て頂けないでしょうか」
「わしももう老いぼれ。今更國に仕えたところで役に立ちゃあせん。それに、こやつらにはわしの全てを叩き込んでおる」
「し、しかし…」
「この先衰えていくわしと、まだまだ伸びるこやつら。どっちが良いかはお主の頭でも分かるじゃろ?」
シグレの言葉に雑兵が黙り込む。
「それにわしかて、余命は気楽に過ごしたいもんじゃ。カッカッカ…」
再び大口で笑うシグレにベナウィが歩み寄った。
「師匠、今まで本当にありがとうございました」
その場に片膝をつき、頭を下げる。
セイトは特に礼を言わず、軽く頭を下げる。
「ベナウィよ、堅苦しいのはよい。わしはそういうのは苦手じゃ」
はい、と言ってベナウィが頭を上げた。
「それでお主らは…、あのおなごにはちゃんと挨拶はしたのか?」
唐突にシグレはベナウィたちに問いかけた。
シグレの言う『おなご』とは勿論クレハのことである。
「いえ…」
ベナウィが答える。
「あいつに言うと、決心が鈍るからよ」
セイトが続いて言う。
「やはりな…。お主らのことじゃ。きっとそうだろうと思ってたわい」
そう言われて2人とも黙り込む。
2人は、村から離れるまでなるべくクレハのことを思い出すのは止めようと考えていたのだ。
これまで長い間、兄妹のように仲良く育ってきたのだ。
いきなり別れると言うと、クレハは泣き出すに違いない。
そんなクレハを見て、それでも自分は別れることは出来るだろうか?
だったら、黙って村を出るしかない。
それが2人の決断である。
「あの子にはわしから言うといてやる。お主らは心置きなく國に仕えるがええ」
「お心遣い、感謝します…」
ベナウィはそう言って、再び頭を深く下げた。
「んじゃ、行くか」
セイトは雑兵に向かって言うと、歩き出した。
雑兵たちもそれに続く。
ベナウィは、もう一度シグレに深く頭を下げてから歩き出した。
シグレは、去りゆく愛弟子の姿を満足そうに眺めていた。


ベナウィたちの姿が見えなくなってしばらくしてのこと。
「隠れとらんで、出てきたらどうじゃ」
シグレが草陰に向かってそう言った。
ガサガサと音がした後、少女が現れた。
クレハである。
目を真っ赤にして泣きじゃくっている。
「よう耐えたな」
クレハは声を上げて泣きながら、シグレの胸に飛び込んだ。
「泣きたいだけ泣くがええ。じゃがな、あやつらとてお前さんのことを捨てたわけじゃない。
 あやつらは、これから立派に戦うんじゃ。皆の暮らしを守るためにな」
シグレはそう言ってクレハの頭を撫でる。
その後も、しばらくの間クレハは泣き続けた。


セイトの両親に挨拶を済ませたベナウィは、再び村長の家へと向かった。
本来なら、シグレの住んでいた村の外れにある庵へ向かおうと思っていたのだが、シグレはベナウィたちが村を出てからすぐに村を去ったという。
ベナウィは少し残念に思った。
が、師匠のことである。今も何処かで変わらずに過ごしているでしょう。
と思い、村長の家への道を急いだ。


村長の家に戻ると、セイトとクレハが茶を啜りながら楽しく喋っていた。
「おう、戻ったか」
セイトがベナウィを見て言う。
「ええ、御両親は相変わらずですね」
セイトの向かい側に座りながら、ベナウィが答えた
「だろ?前より元気なくらいだぜ」
笑いながら言うセイトにつられて、クレハも笑う。
ベナウィは、ふと自分の表情が自然と緩んでいることに気づいた。
ここは…、暖かい。
ただ単純にそう思った。
「ねぇ、2人とも今日は泊まっていくの?」
クレハがふと尋ねた。
「そりゃ無理だ」
セイトが即答する。
理由も言わずに否定するセイトにベナウィが続く。
「私たちは、近辺の村の治安調査という形でここに来ましたので、後半刻ほどでここの調査をして戻らなければなりません」
ベナウィもセイトの単純明快な発言の後付けに随分慣れたものである。
「そっか…」
クレハの表情が曇る。
「でもよ、もう会えなくなるわけじゃないんだしよ。今日みたいにまた会えるって」
「うん…」
急に雰囲気が暗くなる。
こういう時、やはりベナウィにはかける言葉が見つからない。
その空気に助け船を出したのは、村長だった。
「おぉ、戻っておったか」
家の奥から出てきた村長は、右手に長い袋、左手にその半分程の袋を持っていた。
ベナウィはその袋に目を捕らわれた。
村長はその場に袋を置くと、腰を何度か叩いた。
「ばあちゃん、これ何だ?」
セイトがその袋を指して言う。
やはりセイトも気になっていたのだろう。
クレハもセイトの後ろからに覗きこんでいる。
「お前さんたちの師匠から預かったものじゃ」
「「師匠から!?」」
ベナウィとセイトの声が重なった。
「探すのに苦労したわい。もう随分と前のことじゃったからのう」
「それで、ばあちゃん。この中身は何だよ」
セイトは、中腰になって村長を急かした。
「そんなことまでわしゃ知らんわい。お前さんたちが戻ってきた時に渡してくれと頼まれただけじゃからのう」
「槍と…、剣…」
ベナウィが呟いた。
その言葉を聞き終わらないうちに、セイトは短い方の袋の帯を解きにかかっていた。
中から現れたのは、ベナウィが言ったとおり、剣であった。
「これは…」
セイトがまじまじと見つめる。
人の血を吸ったことのない真新しい剣が、自分を誇張するかの如く光を放つ。
「師匠が持っていたエヴェンクルガの…」
「そのようですね…」
ベナウィが静かに呟いた。
彼もまた、その剣の放つ輝きに目を奪われていたのだ。
2人がこの剣を見るのは2度目である。
昔、シグレが2人に誇らしげにこの剣を見せたことがある。
エヴェンクルガの腕の良い男が打った剣だ、と。
そして、『自分』はこの剣で絶対に人は斬らない、とも言った。
それが今、目の前にある。
「ってことはこっちは…」
セイトが長い方の帯を解く。
磨き上げられた長槍が姿を現す。
「師匠が使っていた…、槍…」
ベナウィがセイトからその槍を受け取る。
この槍、シグレが全盛期に使っていた代物である。
その槍が、新品同様の状態でここにある。
「師匠が、これを私たちに?」
ベナウィが村長に再度尋ねる。
「そうじゃ。村を去るときに置いていきおったわい」
すっかり忘れとったがな、と村長は付け足して笑った。
「こいつはすげぇ!」
セイトが何度も剣を振っている。
その表情は、欲しがっていた玩具を与えられた子供のようである。
「師匠、ありがたく受け取らせて頂きます」
ベナウィはそう言って槍を背中に背負った。
今までの槍とは重みが違う…。
同じ槍なのに、それ程この槍が凄いということでしょうか…。
ベナウィはそう思った。


それからしばらくの時を雑談に過ごし、治安調査を済ませた後、村を去ることになった。
クレハと、何人かの村人が見送りのため集まっていた。
村長の紹介もあって、新顔の村人の緊張も少しは解れた、といったところだ。
「それでは、私たちはこれで」
ベナウィは皆に軽く挨拶をした。
セイトも両親に挨拶をしている。
あれこれと言われ、もういいよ、と言った感じであしらっている。
「ベナちゃん…」
セイトが両親から解放されるのを待っているベナウィに、クレハが話しかけた。
「また…、帰って来てくれる?」
「ええ、機会があれば必ず」
ベナウィは即答した。
村を出た当時の記憶が蘇り、クレハに泣かれるのではないかと思ったが、彼女は涙を流すことなく2人を見送った。


ベナウィとセイトは、部下と別れた分かれ道の合流地点にウマを走らせていた。
既に予定の時刻を少し過ぎてしまっている。
時間には厳しいベナウィは、そのことに多少の苛立ちを感じていた。
その道中、セイトがベナウィに話しかける。
「みんな、変わってなくてよかったな。病気で死んじまった人のことは、残念だったけどよ」
「そうですね」
「それに、クレハも元気そうだったしな」
「そうですね」
ベナウィはセイトの話に素っ気なく答える。
「んだよ、何怒ってるんだよ」
ベナウィの態度に気を悪くしたのか、セイトの声が心持ち大きくなった。
「既に合流時間を過ぎています。あなたが手伝ってさえくれれば、調査はもっと早く終わったのです」
「ちょっとくらい遅れたっていいじゃねぇかよ」
「そのちょっとの時間で、戦況が大きく変わることもあるのです。時間には普段から注意しなければなりません」
「ったく、わかったよ」
セイトはそう言うと、ウマの速度を増した。
ベナウィもそれに続く。
大きく傾いた太陽が、2人の影を長く伸ばしていた。


ベナウィたちが故郷を訪れてから十数日後のことである。
インカラ皇の呼び出しを受けたベナウィは、玉座へと足を進めていた。
後ろから足音が近づいてくる。
ベナウィはその足音をセイトだと判断し、立ち止まった。
「よっ!」
セイトが軽々しく手を挙げる。
「あなたも呼ばれたのですか?」
ベナウィが尋ねる。
「そ。何の用かは知らねぇけどな。どうせロクな用じゃねぇだろ」
手を頭の後ろで組み、セイトが歩き出す。
「またそう言うことを…。聖上の前では絶対に口にしないでください」
「だからお前に言ってるんだろ」
「私の前でも同じです。そういうことは思っていても口にしないでください」
「はぁ…」
セイトがつまらなさそうにため息をつく。
こっちがため息をつきたくなる、とベナウィは思った。


2人で玉座に向かうと、そこには随分と大勢の兵が集められていた。
ベナウィたちも、何事かと思いながら指定の位置につく。
しばらくして、インカラ皇が現れた。
「よく集まってくれたにゃも」
インカラ皇は話しながら髪の毛を整える。
その行動に対して、その場にいた誰もが『またか…』と思ったのは言うまでもない。
「今日はおみゃあらに、朕の新しい側近を紹介するにゃも」
インカラ皇は得意げに言った。
「新しい…、側近?」
ベナウィは訝しげに呟いた。
前回のセイトの件で、新しい側近を配備したのは数日前である。
それが、どうしてまた…。
「入るにゃも」
あれこれ考えているベナウィなど気にすることなく、インカラ皇は新しい側近とやらを入るよう促す。
「失礼します」
そう言って、集められた兵を掻き分けて1人の男がやって来た。
男はインカラ皇に深く頭を下げた後、こちらを向いた。
「朕の新しい側近のシルバにゃも」
シルバと呼ばれた男は、軽く頭を下げた。
歳はまだずいぶんと若く、ベナウィよりも少し年上といったところだろうか。
およそ側近という語とはかけ離れた男である。
「今日はシルバを紹介しただけにゃも。もう下がっていいにゃも」
インカラ皇がそう言うと、集められた多くの兵がその場を後にする。
勿論、くだらないことで呼びやがって、と思ってる者が大半である。
「おい、ベナウィ。行こうぜ」
セイトがベナウィに声をかける。
彼もまた、時間を無駄にしたと思っている者の1人である。
しかしベナウィはセイトを無視し、インカラ皇へと歩み寄る。
おい、と何度か呼び止めたが、ベナウィにその声は届いていない。
「聖上、お時間少しよろしいでしょうか?」
普段インカラ皇に接するときと、なんら変わらない態度で声をかける。
「んみゃ、ベナウィか。何にゃも?」
髪の毛を何度も触りながらインカラが答える。
「この男、どういった経緯で聖上の側近になられたのでしょう?」
「シルバはにゃもの知り合いにゃも。いいやつにゃも」
「聖上、お言葉ですがそれだけの理由で側近に置くのは危険ではないかと」
「そんなことないにゃも。シルバは大丈夫にゃも。信用できる男にゃも」
「しかし…」
「あなたは、この國の侍大将のベナウィ殿ですね」
ベナウィの声を遮って、シルバが言った。
一言一言はっきりと、確認するような口調である。
「私は聖上直々の命を受け、側近になったのです。聖上が私に信頼を置かれたからこそ、私はここにいるのです。
 今あなたがしようとしているのは、私に信頼を置かれた聖上を侮辱する行為に等しいのですよ」
「……っ!」
この男、やはりできる…。
ベナウィはそう思った。
「にゃも?ベナウィ、おみゃあは朕を侮辱してるにゃもか?」
シルバの言葉を聞いて、インカラ皇が言った。
「いえ、決してそうようなことは…」
「だったら早く下がるにゃも」
「……御意」
ベナウィは不本意ながらも、インカラ皇に背を向けて歩き出した。
玉座の入り口付近に見慣れた男が立っている。
目の細い猫背の男、チキナロである。
様々な情報や珍物を売り、生計を立てている。
ベナウィも、その情報の正確さに何度も救われたことがある。
「あの男について調べてください」
すれ違い様に、ベナウィが呟いた。
ベナウィは、そのままチキナロの返事を聞くこともなく玉座の外へと出て行った。
若くして侍大将になったベナウィに興味があるのか、それとも彼の『何か』に惹かれるのか、チキナロはベナウィの依頼を断ったことは一度もない。
今回もまた、断るつもりはない。
チキナロは軽く頭を下げた後、その場を去った。


大勢の兵が流れるように動く中、セイトは立ちつくしていた。
玉座の外で、ベナウィを待っていたのである。
セイトはベナウィの姿を見つけると駆け寄ってきた。
「何やってたんだよ」
「ついてきてください」
ベナウィはそれだけ言うと、早足で歩いていく。
「お、おいっ。待てよ」
何がどうなってるんだよ…。
セイトはそう思いながらも、後に続いた。


「あの男は危険です」
自室にセイトを招き入れ、床に腰を下ろしたベナウィが開口一番に言った。
「はぁ?」
ベナウィの言っている意味が分からないのか、セイトはポカンと口を開けたままである。
「あのシルバという男、かなり頭のきれる男です」
「何でわかるんだよ?」
その質問に対し、ベナウィは先程の玉座でのやりとりを話した。
「あの時シルバは、自分が聖上に信頼されているということを何度も強調し、私の発言が聖上を侮辱するものだといいました。
 それにより、『シルバとインカラ皇の関係をあれこれ言うことは侮辱だ』ということを聖上に植え込みました」
「なるほどな。それにお前の難しい話より随分わかりやすいしな。あいつでも理解出来るわ」
ええ、とベナウィは頷いた。
「何を企んでいるのかは分かりませんが、少なくとも良いことではないでしょうね」
「だな。あいつにでも頼んでみるか?」
セイトの言う『あいつ』とは、チキナロのことである。
「既に彼には話してあります」
「流石早いな」
当然です、と言った表情でベナウィが立ち上がる。
「何処行くんだよ」
「私はまだ仕事が残ってます」
部屋の戸に手をかけながら、ベナウィが言った。
「もっとゆっくりしていきゃいいのに…」
「ここは私の部屋です!」
ベナウィは即答した。


城内に急遽設けられたとある一室。
月明かりのみが室内を照らす。
そう、シルバの部屋である。
内装は他の側近の部屋に比べて随分と豪華である。
それほどインカラ皇に信頼を置かれているということなのだろうか。
シルバは窓際の壁にもたれるように腰を下ろし、手にした杯を口に運ぶ。
「侍大将ベナウィか…」
懐から取り出た短刀を向かい側の壁に向かって投げる。
短刀は、壁に描かれた小さな円の中心を確実に捕らえた。
「さて、どう動くものかな…」
不意に口元を緩めたシルバは、そのまま大声で笑い出した。
彼の高笑いが、夜の闇へと消えていった。


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