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國仕武想 胎動 残り期限はたった2日。 もともと3日という短いものだったが、そのうちの1日がなくなったというだけで随分と焦りを覚える。 まだ2日ある。 今のベナウィたちにそういった前向きの思考は微塵もなかった。 焦り、不安…。 それらがじわじわと心を蝕んでいく。 「ちくしょう!」 セイトが城壁を殴りながら言った。 今回の件で、一番精神的に辛いのは彼である。 村長が倒れたことを知り、薬を持って行っただけである。 それが戻ってみるとこの有様。 「なんでこんな…」 握りしめた拳が震える。 「落ち着きなさい、セイト」 ベナウィが言う。 声や態度は、普段と全く変わらないものだった。 だが、彼もまた焦っているのは事実である。 残された時間は短い。 やることは、シルバが犯人である証拠を探すこと。 だが、これまでベナウィはシルバより優位に立ったことはない。 出会った時から常にシルバよりも下にいる。 そんな男から、果たして証拠を見つけることが出来ようか? 「今は…、焦っても仕方ありません」 「だったら…、だったら何をすればいい?俺は何をすればいいんだ?」 「…………」 「なんで…、何も言ってくれないんだよ…。なぁ、ベナウィ…」 セイトの声がだんだんと小さくなる。 お世辞にも頭が良いとは言えない彼にとっての頼りは、ベナウィなのである。 「セイト…」 突然ベナウィが呟いた。 「え?」 「行きますよ」 「お、おいっ!」 ウマにまたがったベナウィは、勢いよく城を飛び出した。 その光景をぼけっと見ていたセイトは、はっと我に返り同じように飛び出した。 ザッザッザッザッザッザッザ…。 山道を駆ける足音。 音の主はチキナロという情報や珍物の売買を生業とする男。 荒い息に混じり、時折唾を飲み込む音がする。 向かう先はケナシコウルベの中心と呼べる場所。 彼の依頼主である男、ベナウィのいる場所である。 流れる汗を拭いもせず、ただがむしゃらに足を動かす。 彼が急ぐ理由。 それは、今回入手した情報があまりに危険であるということ。 早くベナウィに伝えなければ。 彼の頭の中はそれでいっぱいだった。 この速度を保てば、目的地まで後半刻といった所だった。 チキナロの動きがピタリと止んだ。 彼を取り巻くおぞましい殺気。 恐らく常人なら気づかずに走り続けていただろう。 しかし、彼もこのような商売をする身である。 多少なりとも自分の身を守るくらいの武術の心得はある。 「囲まれてしまいましたか…」 姿は見えないものの、その存在は確かに在る。 遅かれ早かれ、いずれは命を狙われる時が来るとは思っていた。 よりによって今回とは…。 チキナロは頭を軽く横に振った。 それは、諦めに思える行動だった。 相手が単独なら、まだどうにかなったかもしれない。 しかし、今相手は複数だ。 力の差などは考えるに値しない。 それは、チキナロが一番分かっていることだった。 気配がゆっくりと動く。 それと同時に、チキナロは覚悟を決めた。 そして、心の中で謝罪した。 この情報をベナウィに届けることが出来なかったことを。 凍り付くような殺気が溢れた。 まさにその時だった。 「お〜い、そこのおっさん」 少し離れたところから声がした。 殺気が一瞬にして消える。 しかし、変わらず気配が消えることはない。 声の主がウマから降り、ゆっくりと近づいて来る。 遠くでは分からなかったが、かなりの巨漢である。 腕や躯にわずかながら傷が見られる。 幾多もの修羅場をくぐり抜けてきた証なのだろうか。 また、人ひとりはあろうかと思える巨大な剣を背負っている。 「ちょいと聞きたいことがあるんだけどよ」 男がチキナロに話しかける。 「…………」 この男、この状況に気づいてないのか?それとも…。 「おい、聞いてるか?」 「…急いでるものでして、ハイ」 答えたチキナロの声が震えている。 それを知ってか知らずか、男は話を続けた。 「時間は取らせねぇ。ここらへんでよ―――」 もしかするとこの男ならこの場をどうにか出来るかも知れない。 瞬時にそう判断したチキナロが口を開こうとしたその時。 一斉に気配が動いた。 相手はこの男もろともチキナロを始末するつもりである。 木々の間より生き霊の如く現れる7体の男。 それらは絶妙の距離感を保ち、今にもチキナロたちに襲いかかろうと各々の武器を構えている。 真剣4人、弓矢2人、懐に手を忍ばせている男が1人。 おそらく飛針の類であろう。 「おめぇら…、目的はこのおっさんか?」 男が聞くが、返事はない。 ただ殺気を迸らせるだけだ。 それが返事だったのかもしれない。 と、その時、遥か上空より木々の軋みと共に1つの殺気が降り注いだ。 慌てて見上げるチキナロ。 そこには、2本の真剣を逆手で構え、全体重を乗せた一撃を与えようとしていた敵の姿があった。 もう駄目だ…。 チキナロは目を閉じた。 ウマを走らせること半刻。 ここはケナシコウルベの城から少し離れた場所。 ベナウィの白ウマの速度が徐々に落ち、停止した。 それに続き、セイトもウマを止める。 ここまで、2人の間に会話は全くなかった。 その沈黙を破ったのはベナウィであった。 「セイト、少しいいですか?」 「あ、ああ…」 「私が城を飛び出したのには理由があります」 「……」 「あのまま私たちが城内にいても、何も変わりはしません。無駄に残りの時間を費やして、あなたは殺されるだけです」 「そうだな…。俺もそんな気はしていた」 「ですから、こちらから動いただけです」 「それだけか?」 「ええ」 セイトが口をぽかんと開けたまま突っ立っている。 ベナウィの事だ。何か策ががって飛び出したのだろうと思っていた彼にとっては、痛い一言だった。 「結局、状況に変わりはなしかよ…」 落胆のため息を漏らすセイト。 しかし、ベナウィは明るめの声で話し出した。 「そんなことはありません。これからあなたには一仕事してもらいます」 「一仕事?」 「ええ…。今からあなたはケナシコウルベ領内を彷徨いてください」 「はぁ?」 「あの男が何かを企んでいるのは明確です。だったら、私たちが城内にいるのといないのではどちらが動きやすいですか?」 「そりゃぁ、いない方が動きやすいだろう」 「では、何故あの男は私たちに3日という期限を与えたのだと思いますか?」 「…さぁ?まだ何かすることが残ってる、とか?」 「半分正解です」 「半分?」 「ええ、おそらくは、私たちを城の外へ出すためでもあるのでしょう」 「どういう事だ?」 「いいですか?あの男には、あの場であなたを殺す事は容易でした。しかし殺さなかった」 「ああ」 「しかも、証拠を見つけてこいと言いました」 「そうだな」 「何故殺さなかったのでしょうか?」 「……ん〜」 「まだあなたを利用するためです」 「あ…」 「さらに、私があの男を疑っているということを自ら言いました。これは何故でしょう?」 「もしかして、お前を動きやすくするために…」 「正解です。さらに3日という期限。長すぎず、短すぎず、絶妙です。1日2日だと短すぎて、諦めてしまう場合が多い。 かといって、長すぎると相手に余裕を持たせてしまう。適度な焦りを生じさせ、可か不可かの狭間を行き来させる。それ には3日という期限が適しているとは思いませんか?」 シルバもそうだが、やはりベナウィはすごい。 セイトは素直にそう思った。 「でも、俺たちが城を出るのがやつの狙いなんだろ?こんなに簡単に出てきていいのかよ?」 「おそらく、あの男は何らかの動きを見せるはずです。それを掴めば…」 「しかし、そう簡単に尻尾を見せるとは思えないけどな…」 「ええ、私の考えてることなんて全てお見通しでしょう」 「だったら…」 「だから、あなたに動いてもらうのです」 「それは、さっき聞いた」 「詳しいことを説明します。気配こそ感じませんが、私たちは何処かで見張られています」 「なっ!」 セイトが辺りをきょろきょろ見回す。 が、ベナウィの言うとおり、どこにもそんな気配は感じられない。 「向こうも、私たちの所在を掴まずに大きく動くことは出来ません。ですから、見張り、及び連絡係が2名以上いるのは確実です」 「マジかよ…」 「そこで、もうしばらくしてから二手に分かれようと思います。そうしたら、あなたは日が沈むまでケナシコウルベを彷徨いてください」 「ああ、わかった」 「勿論、ただ彷徨くだけではありません。証拠を探してください」 「どうすればいいんだ?」 「そうですね、最近見ない顔を見かけなかったか、変に集団で行動してる者を見なかったか、などを聞いてみてください」 「了解。お前はどうするんだ?」 「私は自分の判断で動きます。少し気になることもありますし…」 「そうか。じゃ、行くか」 「ええ…」 二人はウマにまたがり、再び足を進めだした。 遠くから、ある二人を見つめる視線があった。 全身に濃緑色の衣を纏い、まるで獣が獲物を狙うが如き鋭い目。 その目に睨まれれば、誰もが忽ちすくんでしまうだろう。 「動いた…」 零れるような小さな声。女の声である。 スッ、と立ち上がった女は、濃緑色の衣を脱ぎ捨てた。 中から現れた白い肌。衣の下に着けていた漆黒の服とは対照的な美しさ。 無駄なくついた筋肉。すらっとした長い手足。 頭の後ろで束ねられた髪。胸に実る豊満な果実。 この姿で町をあるけば、誰もが振り返る程の美人である。 だが、この女は人を殺して生きている。 世に言うところの殺し屋ある。 「私はこれから後をつける。2人は私に付いてこい。後の1人は連絡だ」 女が言う。 「はっ、自分が連絡致します」 答えたのはケナシコウルベの兵。 いや、正確にはケナシコウルベの兵の姿をした別の者である。 「リア様…、これは…」 男の1人が濃緑色の衣を拾い上げて言う。 リアというのは、この女の名前。 本名かどうかは別として、かなり古くからそう呼ばれている。 「動くのに邪魔なだけだ。私には必要ない。行くぞ」 「はっ!」 かくして、4つの影は3つと1つに分裂した。 ずぶり。 いやに耳障りな音がして、ぽたぽたと滴る液。 ざわり、と空気が歪み、身が震える。 死ぬ前はこんな感じなのだろうか、とチキナロは考えた。 頭上から降ってくる敵。彼が最後に見たのはその光景である。 しかし、いつまで経ってもそれが獲物を捕らえた気配はしない。 そう、確かに先程いやな音がした。 あまり聞き慣れてはいないが、刃物が肉を貫く音だ。 もしかしたら、隣の男が先にやられたのかもしれない。 自分1人が残っていて、周りを囲む男たちがじわじわと自分を殺すのかもしれない。 そう考えると背が凍り付いた。 そして、チキナロは目を開けた。 彼の目に飛び込んできたのは、予想外の光景。 隣にいた男が、背負っていた剣を片手で高らかに掲げている。 その剣を流れる赤い液体。 血。 剣の中程までめり込んだ男の躯を、勢いよく払いのける。 既に肉塊となったそれは、地面に数度弾んで動かなくなった。 チキナロは驚愕した。 一体、自分が目を閉じていた間に何があったのか。 随分と長く感じられた時間。 あれは、もしかするとほんの一瞬だったのかもしれない。 だが、この男は凄い。自分は助かるかもしれない。そう思った。 「俺はよ、このおっさんに用があるんだ。悪いけど、他当たってくれねぇか?」 男が周りを囲む敵に言う。 だが…。 「7人と2人。どうやら腕は立つが、頭はそうでもないらしい」 と、男の1人。懐に手を忍ばせている男だ。 その声をきっかけに、他の男も動き出す。 弓使いが数歩下がる。 真剣の男たちは、じりっ、と地面を鳴らし距離を詰める。 「仕方ねぇな…」 大剣の男が両手でその武器を構える。 と、その刹那、矢が放たれた。 それに向かう形で男が走り出す。 矢は大剣の表面に当り、その勢いを殺された。 あっという間に真剣の男の前に踏み込んだ男は、右下から左上へとその剣を力いっぱい払う。 突然のことに驚き真剣で防ぐものの、それごと右腰から左肩までを両断された。 大剣の勢いを止めず、そのまま1回転し、隣にいた男の右肩から左腰までを。 チキナロの目の前で大剣を持った男は、文字通り流れるが如く剣を振るった。 弓使いの首をはね、剣士の躯を薙ぎ払う。 斬る、というより叩き壊すといった方が正しいかもしれない。 ちょうど7人が3人になった頃。 チキナロは囲まれていた障害の半分がなくなっていることに気づいた。 男のあまりの凄さに魅入られていてすっかり忘れていたが、彼には果たすべき仕事があるのだ。 チキナロは勢いよく駆けだした。 「あっ!おいおっさん!」 男がそれに気づき、叫ぶ。 この男も、チキナロに用があったのだ。 が、それを邪魔されて仕方なく戦っているのだ。 「ったく、そりゃねぇだろ…」 ぶつぶつと文句を言いながら、斬る。 残されているのは、懐に手を入れたまま、まだ自分の武器が何であるかを明かしていない男である。 「で、気づけばあんた1人だが、どうする?」 木を背にし、体中から汗を流している。 見ると足が震えているのがわかる。 「この際あんたでいいや。ここらへんで強いヤツって誰だ?」 大剣を背負い、指を鳴らしながら男に詰め寄る。 男は震えるだけで、口を開こうとはしない。 「けっ!まあいい。さっさと行けよ」 そう言い男に背を向けて歩き出す。 だが、男はその背に攻撃をしかけることは出来なかった。 この男には勝てない。 その強烈な印象が、躯を動かさなかったのである。 大剣の男は、走っていったチキナロの方を名残惜しそうに見てから、ウマにまたがった。 その姿が完全に無くなるのを確認してから、男は地面に座り込んだ。 緊張の糸が切れたと言った方が正しいかも知れない。 握っていた飛針が、汗で滲んでいた。 しばらくの間ウマを走らせたが、やはり見張られてる気配は微塵と感じられない。 相手の気配の消し方が上なのか、それとも本当に見張りがいないのか、ベナウィは考えていた。 もしかすると、必ず見張りが来るだろうと言うのは考えすぎで、それこそあの男の思う壺なのかもしれない。 そう考えると次第に焦りが生じてくる。 落ち着け…。落ち着け…。 ベナウィは必死に心の中で呟いた。 こういうとき、どうも悪い方へ悪い方へと思考が働いてしまう。 軽く深呼吸をし、気持ちを落ち着かせる。 「そろそろ作戦を開始しましょう」 ベナウィがいつもの口調で言った。 「ああ、そうだな」 「いいですか、くれぐれも見張られてるということを意識してください。もしかするとあなたを殺しに来るかもしれませんから」 「はぁ?見張りだろ?」 「あなたが殺され、死体が発見出来ない状態にされた場合、逃亡扱いにされるのは目に見えています。 その場合、とばっちりを受けるのは私です。そういう意味であなたと離れるのは心配なのですが…」 「ああ、そうか。そうだな…」 「もし襲われるようなことがあったら、相手は殺さずに捕獲してください」 「ああ、わかってるよ。善処する」 「それでは、無事戻ってくることを信じてます」 「お前のためにな」 こうして、ベナウィたちの作戦は開始された。 そんなベナウィたちと少し距離が離れた森の中。 木々の間を動く影があった。 木から木へと軽々跳躍する影1つ。 森の中を滑るように移動する影2つ。 ぴたり、とその動きが止まる。 「二手に分かれた…」 木の上にいる影が言った。 リアと呼ばる女だ。 この女は、子供の頃から非常に目が良い。 それは、常人の見える範囲を軽く超えている。 視界に入る範囲のものは、本人の意志で間近に見ることが出来るという。 一種の法術と捉えられることもあるが、本人はそうとは思っていない。 神に与えられた能力。神眼。彼女はそう呼ぶ。 どんなに離れていても、彼女の視界にいる限り、逃れることは出来ない。 視界こそが、彼女の世界。 「どうします?」 上を見上げて、男が答える。 「片方は放っておいてもいずれ死ぬ。私はベナウィを追う。1人は連絡、もう1人は片方を追え」 「御意!」 3つの影が、それぞれの森へ溶けていった。 セイトと分かれたベナウィは、ある集落に向かっていた。 アマギキ。彼の故郷である。 村長が病気で死にそうだと城までやってきたという青年。 あの時は深く考えなかったが、冷静になって考えてみるとどうも怪しい。 事件直前に現れたのは偶然か、必然なのかはわからない。 一度、本人に会って確かめておく必要がある。 セイトも、慌ててたので名前は知らないと言うが…。 もしその青年があの男の仲間なら、まだ村にいるだろうか。 などと考えながら、村へと足を進める。 村まで後少しの所、ベナウィがウマの速度を緩める。 今まで感じなかった気配を感じる。 考えてみれば、狙われているのはセイトだけとは限らない。 何が目的かはわからないが、あの男にとって都合が悪いのは自分とセイトだったはずだ。 ならば自分が狙われるのも不思議ではない。 ベナウィは、そんな単純なことにも気づかなかった自分を心の中で嘲笑った。 このまま村に近づくのはマズイ。 ならば…。 ベナウィは手綱を握りなおすと、ウマを飛ばした。 少し行ったところで急停止、後に旋回。再びウマを飛ばす。 村から出来るだけ離れるためだ。 最初の加速で気配が動いたのはベナウィにもわかった。 そして、急停止から旋回の間に気配が消えた。 再び速度を緩める。 ベナウィが相手の気配を探す中、影は動いた。 草むらの影からスッと現れた影は、恐ろしい速さでベナウィとの距離を詰めてくる。 咄嗟に殺気を感じたベナウィは、ウマの速度を速めた。 1本道をただひたすら真っ直ぐに駆けるベナウィ。 影がそれに続く。 2人の距離は近づくわけでも遠ざかるわけでもない。 ベナウィは振り返り、その影を確認する。 女だ。 ウマと同じ速度を保つその女は、神の眼の持ち主。 視界に映るものは全て、間近のものの如く捉えることが出来る。 例えどんなに逃げようと、彼女の眼から逃れることは出来ない。 神の眼のリア。 彼女の暗殺能力は極めて優れている。 速さのみを追求したその躯。 相手を見失わないという絶対的自信。 それらが、彼女の力を何倍にも高めた。 一方、ベナウィは考えていた。 自分を追いかけてくる女。確かに足は信じられないくらいに速い。 だが、この1本道で何も仕掛けてこないということ。 それは、相手が近接系の戦闘を得意とすることを意味していた。 あれだけの速度を出している故、おそらく体力の消費も激しいはずである。 このまま逃げ切ることは出来るであろう。 しかし今後彼女に狙われることを考えると、ここで決着を着けるのが得策かと思われる。 そう思いウマの速度を緩めようとしたその時、ふと真横に気配を感じた。 「なっ!」 あの女が横にいる。ウマに追いついたのだ。 驚きも束の間、女は手にした短刀を、今にも振り下ろそうとしている。 ベナウィは咄嗟に槍でその一撃を防ぐと同時に、ウマから飛び降りた。 操者のいなくなったウマは、しばらく進んでからゆっくりと足を止めた。 着地と同時に女の第2撃、3撃と続く。 短刀を、まるで自分の手のように華麗に扱う。 ベナウィはそれを防ぐことでいっぱいだった。 槍と短刀の近距離戦闘。 さらに、相手は速度重視だ。 明らかにベナウィが不利なのは目に見えていた。 女の一撃を辛うじて避けたベナウィは、半円を描くが如く槍を振り下ろした。 が、槍の先に女の姿は見えない。 後ろ! ベナウィの直感の通り、女が後ろに回り込んでいた。 女が短刀を突き出す。 ベナウィは辛うじて避けたものの、脇腹を掠めたようだ。 徐々に血が滲み出る。 その痛みに若干気を取られた瞬間。 世界が傾いた。 いや、正確にはベナウィが傾いたのだ。 女の足払いが命中していた。 ぐらり、と傾く世界を背に、女がとどめの一撃を放ってくる。 が、ベナウィにその一撃に決まることはなかった。 女が、真横に弾かれたように飛んだ。 「そうかい、ありがとよ」 セイトは、ケナシコウルベのある集落にいた。 ベナウィに言われた通り、村のあちこちで聞き込みをしているのである。 が、どれも返ってくるのは求めているものと真逆の回答。 正直うんざりしていた。 「はぁ…」 事態は依然として変化なし。 変わっていることといえば、自分の死期が迫っていることぐらいだろうか。 「はぁ…」 セイトは再び大きなため息をついた。 「この村も駄目…、と」 そう言ってウマにまたがろうとした瞬間、何かがぶつかってきた。 見事に地面に尻餅をついたセイト。 立ち上がりながら、相手に一喝。 「痛ぇ…。誰だよ!」 と怒鳴ってみたものの、もし今のが自分を狙う者だったら死んでいたかもしれないと思い、熱が引く。 「すみません。急いでたものでして、ハイ」 見覚えのある顔。 細い目に、常に相手より下手にいる姿勢。 さらに、聞き覚えのある語尾。 「なんだ、チキナロのおっさんじゃねーか」 「ああ、セイト様」 「どうしたんだよ、慌てて」 そう言いながら手を差し出すセイト。 それを受けて、チキナロが立ち上がる。 「はい、実は…」 ケナシコウルベ城内。とある一室。 他の部屋よりは随分と豪華だが、生活感がまるで感じられない。 そこに2人の男がいた。 1人は椅子に座り、杯を手にしている。 1人はその男の前に荒い息でひれ伏している。 「それで…、逃げ帰ってきたと?」 「はっ、はい…。申し訳御座いません。他の者がやられてしまったため、この事を報告せねばと思い…」 「あなたは…、私と同じ飛針を武器に使うみたいですが…」 「……」 「使い方を間違えたようです」 「…え?」 男が最後に口にしたのはその一言だった。 「報告なんて必要ありませんよ。あなたたちが戻ってこなければ失敗したということぐらい分かります。 それに、遅かれ早かれ死ぬ運命なのですから…」 おそらく、自分のことはベナウィたちにばれるだろう。 だが、それが何だと言うのだ。 所詮情報屋1匹。支障はない。 ずずっ、と杯を口に運ぶ。 「誰か、誰かいませんか?」 男が大きめの声で言う。 「はっ、シルバ様。どうかなさいましたか?」 その声に反応して、数名の兵士が部屋に入ってきた。 「賊が忍び込んだみたいです」 と、足下の男を指して言った。 「始末しましたが、もう少し警備を強めた方がいいですね」 「申し訳ありません…」 兵士たちが深々と頭を下げる。 その行動には、幾分の違いもない。 まるで、同じ人間が同じ行動を取っているようにも見える。 本当に申し訳なく思っているのかさえ怪しく思える。 「今後、このようなことがないようにお願いしますよ」 「はっ!失礼しました」 そう言うと、兵士たちは足下の男を外へと運び出した。 「やはりこの國を支えているのはベナウィですか…。他の兵もいくらか見て回ったがどれも話にならない」 と、その時である。 扉の叩かれる音と共に声。 「失礼します」 入室するケナシコウルベの兵。 「どうしました?」 「リア様が動かれました。ベナウィを単独で追跡しています」 「そうですか。ベナウィとセイトゥレイドが外に動いたとは聞きましたが…」 しばらく考え込むシルバ。 「わかりました。あなたは通常任務に戻ってください。後はこちらで何とかします」 「御意」 部屋を去る男。 そして1人残されたシルバ。 「彼女ならベナウィを仕留めることは出来るでしょうが、過信するのも…」 そう呟きながら立ち上がるシルバ。 その表情は、かつてないほどの自信に満ちあふれていた。 真横に弾かれた女は、幾度か地面を転がって動かなくなった。 豊かな胸が上下しているのを見れば、死んでいないことはわかる。 ベナウィは呆気に取られていた。 今まさに自分を殺そうとしていた女が、急に動かなくなったのだ。 そして、自分の命を救ってくれたのが…。 「レヴン…」 レヴンは荒い鼻息をたてながら、女を睨んでいた。 女がベナウィを殺そうとした時、レヴンが横から渾身の体当たりを放ったのである。 速さを追求した躯である。ウマの強烈な一撃を食らってはただではすまないのは容易に想像できる。 恐らくは、骨の数本はやられているだろう。 どうやら、獲物を狩ることに意識を集中しすぎた女はレヴンの接近に気づかなかったようである。 ベナウィですら女に集中しすぎてそれに気づかなかったのだ。 もとより、レヴンを戦力と見ていなかったからかもしれない。 ベナウィは、無意識のうちにそう判断していたことを恥じた。 「すみません」 一言レヴンに謝り、その白い躯を撫でた。 荒い鼻息をたてていたレヴンは徐々に落ち着きを取り戻す。 と、悠長にしている時間はない。 女が意識を戻す前にどうにかしなければならない。 ベナウィは女に近づき、槍の先を女の喉元に近づけた。 「……」 自分を殺そうとしたとは言え、動けなくなった女を殺すことに躊躇いが生じた。 どうしようか、と思った時だ。 女の目が大きく見開かれ、足で槍を蹴り上げる。 そして立ち上がり、ベナウィの胸に短刀を突き刺そうとしたが…。 「…!!」 躯が思うように動かないのだ。 「ウマの体当たりを喰らったのですから、まともに動けるわけないでしょう」 そう言って、再び矛先が女の喉元に。 「あなたの負けですよ」 「くっ!」 女は唇を噛みしめた。 と、その瞬間、女は躯を後ろに倒したかと思うと短刀を投げつけてきた。 咄嗟にその短刀を槍で叩き落とす。 その隙をついて、女は草むらへと姿を消した。 「ふぅ…。逃げられてしまいましたが、あれではしばらくは動けないでしょう」 足下の短刀を拾い上げる。 「こんなものでは、証拠にはならないですね」 「その話…、マジかよ?」 真剣な顔をして、セイトが呟いた。 チキナロの仕入れた情報。 シルバという男について。 この先ベナウィに会うまで生きているかも分からない。 ならば、ベナウィに最も近いこの男に話しても損はないと思った。 ベナウィが信頼している相手である。チキナロもそれなりの信頼を置いていた。 「辺境の地に逃亡した者から仕入れた情報でして…。多少脚色されてるかもしれませんが、ほぼ間違いないかと…」 「それじゃあ、おっさんを襲ったヤツってのは…」 「おそらく、シルバという男に命じられた刺客でしょう」 「早くこの事をベナウィに知らせないと…」 セイトはウマにまたがった。今にもウマを飛ばそうとしている。 チキナロは、その手を取って首を軽く振った。 「セイト様。あなたはあなたのなさるべきことを…」 「けど…」 「心配無用です。いざという時のためにあなたに話したのですから、ハイ」 そう言うや否や、チキナロは城を目指して駆けだした。 「おっさん…」 セイトはその姿が見えなくなるまで見送っていた。 「ベナウィなら日が暮れるまで戻らねーって…」 ウマを飛ばし、目的地を目指す。 アマギキという集落。 「それにしても、先程の女性…」 思い出される光景。 疾風の如きその速度。 急所を狙った的確な攻撃。 攻撃は最大の防御というが、彼女はまさにそれだった。 もしかすると、あの女が例の事件に関わっているかもしれない。 ふとそう言う考えが頭をよぎる。 自分を襲ってきた相手である。 あの男と関わりがないとは考えにくい。 「気づけば…、全滅…」 あの女なら不可能ではない。 武道を熟練した者でも、彼女を相手に生き残るのは難しいだろう。 一般の衛兵などは、自分が殺されたことすら気づかないかも知れない。 厄介な相手だ…。 などと考えているうちに、村の全景が見えてくる。 もくもくと登る生活の煙。 小さな集落ながら、お互いを支え合い今までやってきたのだ。 その入り口にウマを止め、村の中へと入っていく。 と、どうも様子がおかしい。 重い空気。 皆、まるで鉛を躯に背負ったように沈んでいる。 ベナウィは、畑の側に腰を下ろしている1人の男に声をかけた。 「あの…、何かあったのですか?」 男はゆっくりと顔を上げた。 「ああ、ベナウィ様…」 男の顔は蒼白く、まるで生気がない。 「村長が…、死んじまってよ…」 「……!!」 どくん。 男の言葉に、心臓が跳ねた。 村長が死んだ? 「数日前に倒れて、危ないと思った時にセイトゥレイド様がやって来て、なんとか助かったんだ。 けど…、昨日病気が再発してな…。そのまま…」 「……」 「結構前に流行った病気だそうだ…。何故今頃かかったのかはわからねぇが…、この村に広まるんじゃないかって皆大騒ぎだ」 嘘だ! そう叫びたかった。 だが、村全体の雰囲気と、村人の辛そうな表情。不安そうな表情。 それらがこの話を真実だと物語っていた。 ふと、村長の家を見る。 あの家に入れば、いつものように村長がいて、クレハが…。 「クレハ…」 ベナウィは走り出した。村長の家へ。 あそこには、クレハがいる。 両親を亡くし、村長に育てられたクレハ。 彼女にとって、村長は親のようなものである。 ベナウィは走った。 ただひたすら走った。 村の入り口から村長の家まで、それほど離れた距離ではない。 だが、ベナウィにはその距離がひどく長く感じられた。 村長の家の前まで来たとき、1人の女性に呼び止められた。 「ベナウィ様」 振り返るベナウィ。 そこにいたのは、子供を抱いた女性。 まだ20代半ばだろうか。 母親というよりは、お姉さんという印象が見られる。 「そこに入っちゃいけないよ」 「…え?」 「村長は、昔流行った伝染病で亡くなったんだ。伝染るかもしれないよ」 この女性は何を言うんだ? ベナウィはそう思った。 確かに、そう言うのも仕方ないことだと思う。 村で伝染病の被害者が出た。 それは村を全滅に追い込むことさえある。 だけど…。今まで一緒に過ごしてきた仲間を…。 ベナウィは、心の奥深く湧き上がる何かを、ただただ押さえつけることしか出来なかった。 「……構いません」 そう言うと、ベナウィは扉を開けた。 同時に、先程の女性は村の出口へと足を進めた。 森の中、気配を押し殺して潜む影があった。 辺りに神経を集中させながら、痛む脇腹を押さえる。 「…っ!!」 時間とともに増す痛みに顔を歪める。 影の正体はリアという女。 先刻の対ベナウィ戦で思わぬ攻撃を見事に喰らい、この様である。 たかがウマ如きに。 これが敗因である。 仕留めたと思った瞬間、まさか自分が仕留められるとは…。 武器を捨てたことにも後悔していた。 あの場はなんとか凌げたが、もしベナウィが追ってきたら…。 そう思うと震えが止まらなかった。 絶対的自信という壁が音を立てて崩れた。 初めてその身で味わう恐怖。 膝を抱え、うずくまるように小さくなる。 誰かに助けを求めるという行為は、ひどく自尊心を傷つけるものだった。 だから彼女は助けを呼ばない。 仕事で誰かと連むことはあったが、常に自分より下の存在と意識していた。 だから彼女は助けを呼ばない。決して。 「…来ないで」 それは敵であるベナウィに対してだろうか? それは彼女を捜す仲間に対してだろうか? 彼女の漏らした言葉が、深い森の闇へと消えていった。 ここはケナシコウルベに最も近い集落。 城下ということもあり、行き交う人々の活気溢れる声が漂っている。 随分日は傾いているものの、その喧噪さは衰えることを知らない。 「さぁさぁ、本日最後の大安売りだ!」 などと言う声。 「あそこで飲んでいかねぇか?」 などと言う声。実に様々である。 そんな生活感の溢れるこの場所は、セイトのお気に入りの場所であった。 道行く人々の笑顔を、商売が終わり自分の帰るべき村へと足を進める人々の生活を守りたい。 いつまでも…。絶えることなく。 それがセイトの夢であった。 今、セイトはこの町にいる。 この町には顔見知りが多い。聞き込みをするのは随分と楽な場所である。 「おばちゃん」 ある店の中に入り、声をかける。 セイトがよく来る店の1つである。 新鮮なモロロなどが毎日店に顔を並べる。 ここで買ったモロロをふかして食べるのが実に美味い。 「おや、セイトちゃん」 奥から聞き慣れた声と共に、おばちゃんが顔を出した。 「最近さ、ここらへんで怪しいやつとか見なかった?見ない顔とか、いかにもって感じのやつ」 「そうだねぇ…。毎日たくさんの人が来るからねぇ…」 「そっか」 「何かあったのかい?」 「まぁ、色々とな」 「大変だねぇ。そうだ。残りものでいいなら、そこのモロロ持ってっていいよ」 「マジ?朝飯以降何も食ってないから腹減っててさ。助かるよ」 「仕事もほどほどにしないと、躯壊すよ」 「ま、こんなに働けるのも若いうちだからな。じゃ、これ貰ってくわ」 「はいはい。また来ておくれよ」 「おう」 笑顔で見送るおばちゃんを背に、店を出る。 沈む夕陽に紅く照らされたモロロを眺める。 もしかしたら、このモロロを2度と口にする事が出来ないかもしれない。 そう思うと、胸が締め付けられた。 いつ来ても変わることのない町。 刻々と死に近づく自分の運命。 絡み合わない2つの歯車が音を立てて回っている。 「セイトちゃん!」 と、店の中からおばちゃんが慌てて飛び出してくる。 「ん?」 「思い出したんだよ。怪しいやつ」 「マジ!?」 セイトの瞳に光が灯った。 開かれた扉の中にあったもの。 別世界。 それは以前訪れた時とほとんど変わらない場所のはずである。 しかし、ベナウィの目には別世界を映した。 いや、彼でなくともそう思うかもしれない。 生活感が全く感じられない。 村長が亡くなったのは確か昨日のはずだ。 ならば、この生活感のなさは何なのだ? まるで何年もの間人が住んでなかったような感じ。 生活の場というよりは、そう見せて創られたものに等しい。 主を失った家というのは、こういうものなのか? ベナウィは家の中を見渡した。 扉から差し込む夕陽が室内を照らす。 居間、台所、壁にかけられた衣服などなど…。 見覚えのある場所が、触れると崩れそうな場所に見える。 ここは、こんなにも儚い場所だったろうか? 傾く太陽が徐々に奥を照らす。 囲炉裏の奥で、糸の切れた操り人形のように1点を見つめる少女。 クレハ。 ベナウィが心配していた少女である。 そっとクレハに近づく。 「クレハ…」 そっと呟く。 少女は、ゆっくりと声のした方を見る。 「…ベナちゃん」 辛うじてそう発した彼女の目に涙が溜まる。 「来ちゃ…、駄目だよ」 「え?」 「病気…、伝染っちゃうよ」 「クレハ?」 まさかクレハも伝染ってると言うのだろうか? しかし、見たところ特にそんな様子は見られない。 クレハという少女に、ひどく儚い印象が見られることを除いて。 「おばあちゃん、…んじゃった」 「ええ、聞きました」 2度目の話なので、大きな衝撃は受けなかった。 「あの時と…、同じ病気だって。また、流行るかもしれない…」 「……」 「だから、今朝村を出た人もいるんだよ。だけど、私はここを出れないから…」 「どういうことです?」 「だって…、おばあちゃんとずっと暮らしてたんだよ。私の躯にもきっと…。 だから、私はこの場所を出ては行けないの。みんなに、迷惑はかけたくないから…」 「クレハ…、それは…」 「だから、ベナちゃんも出ていった方がいいよ」 「それは違います!」 声が弾んだ。 心の中の、何かが弾けた。 「あなた1人がこんな場所に閉じこもってどうなるというのです?みんな、ずっと一緒に暮らしてきたのですよ。 何年も、何年も。ただ、あなたが一番近くにいただけじゃないですか。あなた以外の人だって伝染ってる可能性はあるのですよ?」 「だけど…、やっぱり私が一番近い…、近いから」 ぼろぼろとクレハの瞳から涙が零れる。 ――そこに入っちゃいけないよ。 ――村長は、昔流行った伝染病で亡くなったんだ。伝染るかもしれないよ。 先程の女性の言葉が頭を過ぎる。 もしかすると、村長が亡くなってから、クレハは村人に避けられたのかもしれない。 だからこうやって、小さな家に自ら籠もっているのかもしれない。 伝染病。 被害者も、その身内も辛い思いをする。 クレハは強く優しい子だ。 だから、自分よりも相手のことを考えてしまうのだろう。 一番辛いのは自分なのに…。 本当の両親を失い、第2の母まで失い、村人に避けられ…。 全てが許せなかった。 だが、自分にはどうすることも出来ない。 それだけが、悔しかった。 「ベナちゃん…、ベナちゃん…」 泣きじゃくるクレハの躯を、そっと抱き寄せた。 「クレハ…、大丈夫ですから…」 何が大丈夫だと言うのだろう。 それすらわからない。 だけど、ベナウィにはそう言うことしか出来なかった。 「もう…、いやだよ…」 「……」 「なくすのは…、いやだよ…」 クレハがそっと呟いた言葉。 それがベナウィの耳に残った。 なくしたもの。 大切な人との別れ。 両親。 仲間。 第2の母。 そして、再び仲間。 これらが、どれほどの傷を彼女に残しただろうか。 その小さな躯には大きすぎる傷。 どれほど彼女を苦しめたというのだろうか。 いつの間にか、しとしとと雨が降り始めていた。 おばちゃんから聞いた怪しいやつの情報を手がかりに、町の中を彷徨う。 背中に大きな剣を背負った、巨漢。 確かに、聞く分だと怪しい感じもする。 というか目立ちすぎだろ。 道行く人に尋ねながら、町を行き来する。 やはり目立ってるらしく、聞く人皆が『見かけた』と答える。 随分町をうろうろしてるようだ。 「ただの旅人じゃねーだろうな…」 そう呟き、モロロをかじった時である。 遠目に見てもわかるくらいの巨漢を目にした。 杯を手に、あぐらをかいて一杯やっていた。 「姉ちゃん、酒菜追加〜」 などという馬鹿でかい声が聞こえてくる。 「あれだ…」 半分呆れた表情で、セイトは走り出した。 「おい、そこの…」 声をかけようとした時だ。 男が立ち上がり、ぐっとその太い腕をセイトの首にまわしてきた。 「なっ」 しまった! セイトは直感的にそう思った。 だが…。 「なぁ、兄ちゃん。金かしてくんねーか?」 男が言う。 「はぁ?」 「いや、足りると思ってたんだがよ…。いざ見てみると足りねぇんだ、これが」 「何わけのわかんねーこと…」 男がセイトの首を腕で絞める。 絞める。絞める。 ひたすら絞める。 「な?かしてくれよ。な?」 笑顔で言う男。 もはや恐喝に近いものを感じる。 というか間違いなく恐喝だ。 「あ…、が…」 セイトは力無く頷いた。 と、男の腕が外れる。 はぁはぁと荒い息をしながら、セイトは空気を胸一杯吸い込んだ。 「悪いな、必ず返すからよ。っと、兄ちゃんも飲むか?」 と、杯を差し出す男。 「あ、ああ…。ってそうじゃねぇ!何だお前は!」 「おいおい、人に名を聞く前に自分から名乗るのが礼儀ってもんだろ?」 男が笑って言う。 「いきなり人の首締めて金せびる野郎が言うな!」 「わかったわかった。まぁ落ち着けって」 何だか、この男に流されてるのは気のせいだろうか? セイトはふと思った。 「俺はクロウってんだ。見ての通り強ーい剣士だ」 背中の剣を指さして言った。 「で、強ーい俺は世界中の強いヤツを探しては戦い、勝利を掴む。そんな旅を続けている」 と、ここでセイトは本来の目的を思い出した。 怪しい男を探していて、何者かを聞こうとした。 それが、いつのまにか怪しいやつ自ら自己紹介しているではないか。 「そ、そうか…」 怪しいやつ。 確かに怪しいが、セイトが求めてるものとはまた違うようだ。 そうとわかればこんな所に用はない。 さっさと退散するに越したことはない。 セイトはその場を立ち去ろうとした。 が。 「待てよ。どこへ行こうってんだ?」 クロウの手がセイトの腕をがっしりと掴んでいた。 「いや、悪いがあんたにもう用はないんだ」 「金かしてくれるって言ったじゃねーかよ!」 「あれはお前が無理矢理…」 そこでセイトは言葉を止めた。 この言い争いは時間の無駄だ。 素直に金を渡して去ろう。 そう考えた。 「わかったわかった。これで足りるか?」 セイトがクロウに金を渡す。 「おっ、悪いな」 クロウはそれを受け取った。 「それで、あんたの用は何だったんだ?」 「大した用じゃねーよ。怪しいヤツ探してたらたまたまアンタが候補にあがっただけだ」 「失礼なやつだな。俺が怪しいわけねーだろ」 「ああ、そうだな。だから俺はもう行く」 「ちょっと待てよ。怪しいやつなら見かけたぜ」 クロウの口元がにやりと歪む。 「胡散臭い。お前の発言は胡散臭さを感じる」 セイトが疑いのまなざしを向ける。 「いや、これはマジな話だ。この町に来る前のことだ。怪しい旅商人のような男を見かけたぜ」 クロウがあたりをきょろきょろ見回し、顔を近づけて小声で話す。 酒臭い息が顔にかかったが、この際気にしないことにした。 「旅商人?」 「旅商人ってよ、世界中をまわってるわけだろ?だから俺はここらへんで一番強いヤツを聞こうと思ったんだ。 そしたらさ、そいつ追われてたわけよ。で、追手が俺にまで攻撃してくるもんだから仕方なく相手してやったんだが、 これまた弱いこと弱いこと…。で、結局その旅商人には俺が戦ってる間に逃げられちまったんだがよ。な、怪しいだろ?」 どこかで聞いたことのある話だ。 というかつい最近聞いた。 「それ、チキナロのおっさんだ」 「何だ?知り合いか?」 「ああ、ちょっとした知り合いだ。そうか、助けてくれた男ってあんただったのか」 「なら話は早い。この金は助け賃ってことで」 クロウが金を指して言った。 「別にそれは構わねーが…」 「おっ!兄ちゃん話がわかるやつだね。いい友達になれそうだ」 いや、勘弁してくれ。疲れる…。 「でよ、ここらへんで強いヤツって誰だ?」 「そうだな。ケナシコウルベ侍大将ベナウィ。そしてその片腕セイトゥレイドってところだな」 「そうか。侍大将にその相棒か…。さぞかし強いんだろうな」 「聞いたことないのか?」 「ああ、こっちに来るのは初めてなもんでな」 「だったら覚えておくんだな。2人の名前を」 「おう。いつか試合いてぇもんだ」 クロウが遠くを見て言った。 その顔は、どこか子供っぽかった。 「じゃあ、俺はそろそろ行くわ」 「おう、また何処かで会えるといいな」 「そうだな」 セイトは男に軽く手をあげて歩き出した。 と、その背に声がかかる。 「なぁ、あんた名前は?」 「セイトゥレイドだ。セイトって呼んでくれ」 そう言い残し、セイトはクロウのもとを去った。 クロウの口元が微かに揺るんだ。 心地よい気分。 何故だろう? ずっとあの男に流されっぱなしだったのに。 ささやかな出会い。 明日までの命かもしれないのに。 どうして出会ってしまったのだろう。 いつか。 いつかあの男と戦ってみたい。 いつか…、必ず。 気づけば、城下の町に雨が降り始めていた。 「…落ち着きましたか」 胸の中で泣きじゃくっていたクレハにそっと声をかける。 「…ごめんね」 顔をあげてにっこり微笑むが、やはりどこか儚い。 涙の後が痛々しい。 村長が亡くなったときも、泣かずに耐えていてのだろうか? 村人から避けられたときも、泣かずに耐えていたのだろうか? 「クレハ…」 ベナウィは、クレハをもう一度強く抱きしめた。 今にも壊れてしまいそうなその躯を、強く、強く抱きしめた。 何故こんなことをしているのかは自分にもわからない。 ただ…、そうしなければいけない気がした。 「…たい、痛いよベナちゃん」 クレハの声で我に返る。 どうやら思った以上に強く抱きしめていたようだ。 ベナウィは、慌てて腕を解いた。 「す…、すみません」 「うん…」 沈黙。 長い沈黙。 大地を濡らす雨の音だけが響く。 この子を連れて行こう。 ベナウィの頭に浮かんだこと。 遅かれ早かれ、この村から人はいなくなる。 これ以上クレハに辛い思いはさせたくない。 だったら、自分が連れて行くのが一番良いのではないだろうか? だけど、まだそのことは言えない。 今はセイトの事件を解決するのが先決である。 でないと、だれも幸せにはなれない。 そんな気がした。 ベナウィはそっとクレハの頭に手を置いた。 「クレハ…」 「?」 クレハが上目遣いでベナウィを見上げる。 「私には、もう少ししなければならないことがあります。 それが終われば、必ず迎えに来ます。だから、それまで待っていてください」 「…でも」 「迷惑だなんて思っていませんよ」 「……」 しばらく悩んだ後、クレハは静かに頷いた。 他人を思うが故、自ら殻に籠もったクレハ。 この子は、こんな辛い思いをするために生まれてきたわけじゃない。 もっと笑顔を。 もっと幸せを。 だけど、なくしたもの。 故郷――― 躯を撫でる冷たい感触。 それで目が覚める。 ここは深い森の中。 どうやら意識を失っていたらしい。 辺りに気を配りながらゆっくりと躯を起こす。 「…っ!」 脇腹を襲う痛み。 随分と痛みは和らいだものの、激しく動くことは無理だろう。 「雨…」 女は呟いた。 神の眼のリア。女の名である。 リアは脇腹を押さえつつ立ち上がった。 「歩けないほどではない。…が、やはり痛むな」 ふと空を見上げる。 木々の間をすり抜け、幾多もの雨が降り注ぐ。 雨。 その音は、暗殺者の音を消す。 その音は、暗殺者の臭いを消す。 「一度、体勢を立て直すか…」 リアはそう呟くと、覚束ない足取りで歩き出した。 絶対的自信という壁は崩れ去った。 だが、その下から湧き上がる新たな壁。 復讐心。 まぐれとは言え、自分を後退させた男への感情。 それが彼女の支えであった。 雨はとどまることを知らず、大地を打つ。 夕刻に降り始めた雨は、世界が闇に包まれてもなお降り続いていた。 ケナシコウルベ城内のとある一室。 3人の男がいた。 1人は侍大将。 1人はその片腕。 1人は商人。 それぞれ囲炉裏を囲んで座っている。 「その話は本当ですか!?」 侍大将、ベナウィの声が響いた。 「はい。おそらくは間違いないかと」 商人、チキナロが答える。 以前ベナウィは、シルバについて調べるようチキナロに頼んでいたのだ。 依頼から随分と経つが、やっとその情報を掴めたようだ。 シルバ。 年齢や出身地など、彼に関する資料は一切ない。 非常に頭の切れる男で、インカラ皇の紹介でこの國にやって来た。 と、今分かってるのはこれだけである。 そこに、チキナロの仕入れた情報を加える。 シルバ。 通称『國渡りの死神』。 過去にいくつもの國に仕えていた経歴有り。 しかし、いずれも滅亡の道を歩んでいる。 彼の仕えた國は、一時は大繁栄する。 が、ある國では内乱が生じ國は混乱。 またある國では精鋭部隊がごっそり行方不明。 ある國では突然の流行病。 いずれもその混乱の際に、敵國の侵略を受けて壊滅している。 そして、混乱の際に彼の姿は既にない。 故に彼の存在を知る者はごく少ない。 そして、彼は新たな國へと足を運ぶ。 國渡りの死神。 國から國へと歩を進め、黒き御手を差し伸べる。 幾多の歳月栄えども、闇への手招き散りゆく運命。 「つまりあの男は、國を繁栄させるという実力で、皇に対し絶対的な信頼を得る。 そして、機を見て何かしらの騒動を起こす。混乱した國は別の國に滅ぼされる」 ベナウィが淡々と語る。 「今回のセイトの事件。これは騒動への一歩と見て間違いないでしょう」 「つまりあれか?期限の明日中に何かが起こるってことか?」 「ええ…、おそらく」 「だったら、明日1日中あいつを見張ってればいいんじゃねーか?」 「それは無駄です。國を中から混乱させる方法などいくらでもあります。 もし私たちが見張るようなことをすれば、彼は行動を先延ばしするでしょう。 彼は今回、偶然にもあなたを利用しようとしている。これはまたと言ってないほどの機会なのですよ」 「そ、そうか…。そうだよな…」 ベナウィの気迫に押されたのか、セイトが俯く。 「チキナロ、今回の情報には感謝します」 「いえ…」 「報酬はいつもの所で頂いてください」 「はい、それとこれを…」 チキナロがベナウィに小さな袋を渡す。 「……」 黙って受け取るベナウィ。 「では、今後とも御贔屓に…」 そう言ってチキナロは部屋を出た。 部屋に残った2人。 「それで、あなたの方はどうでしたか?」 ベナウィが言った。 「ああ、残念ながらこれといった進展はない」 「そうですか…」 顎に手を当て、考えこむベナウィ。 「で、お前の方はどうだったんだ?」 セイトが玩具を欲しがる子供のような目でベナウィを見た。 ベナウィの情報に期待をしているのだ。 「これを見てください」 ベナウィが懐から1本の短刀を取り出した。 「これは?」 「私はあなたと別れた後、アマギキへ向かったのです」 「アマギキ?何でまた」 「村長が倒れ…」 と言いかけて、ベナウィは口を閉ざした。 シルバの情報を掴み、熱くなりすぎてすっかり忘れていたこと。 アマギキでの一件。 村長が死んだこと。 クレハのこと。 セイトに話した方がいいのだろうか? 今は自分のことでいっぱいなのに。 話すべきなのだろうか? 「ベナウィ?」 セイトが不思議そうな目でベナウィに声をかける。 「あ…、いえ…」 「どうしたんだ?」 今は言わないでおこう。 それがセイトのためだ。 明日が無事に終われば話そう。 ベナウィはそう誓った。 「何でもありません。続けます」 「あ、ああ」 「村長が倒れたと伝えにやってきた青年がいたでしょう?」 「おう」 「あの青年に詳しく話を聞こうと思って村に向かったのです。その途中、襲撃を受けました」 「なっ!」 「相手は女性でした。全速のレヴンに追いつく足の持ち主で、無駄のない攻撃。一流の殺し屋か何かでしょう」 「それで、その女は?」 「残念ですが、逃げられました」 「っくしょう!」 セイトが顔を歪める。 「すみません」 「いや、お前を巻き込んだのは俺の方だ。謝らないでくれ」 「……」 「それで?これがその女の武器なのか?」 「ええ。私と距離を開ける際に投げたものです」 「そうか…。こんなものじゃ証拠にはならねーか…」 「…そうですね」 「それで、アマギキはどうだたんだよ。話は聞けたのか?」 「いえ…、該当する青年が見つかりませんでした」 「それって…」 「残っている村人に聞いたところ、皆誰が呼びに言ったのか知らないと」 「……」 「考えたくはないですが、村長の病気まであの男に仕組まれていたことかもしれません」 「あいつが…、やつの仲間だった、と?」 「おそらくは…」 セイトが俯く。 アマギキのことを話すたび、思い出されること。 幼き日の生活。 旅立ちの日。 再び故郷を訪れた日。 そして、今日のこと。 「なぁ、ベナウィ…」 「何です?」 「ばあちゃん、元気だったか?」 「ええ…」 ベナウィは即答した。 胸に溢れる罪悪感。 こんな嘘はつきたくなかった。 けれど…。今はセイトに余計な負担をかけたくはない。 もしこの世に、許される嘘と許されない嘘があるならば、この嘘は許される嘘であって欲しい。 ベナウィはそう願った。 「そろそろ夜も遅いです。明日取るべき行動は明日話します。今日はもう休みましょう」 「…ああ。そうだな」 セイトが立ち上がり、扉に手をかける。 「こんな苦労も、明日で終わりです。頑張りましょう」 そんなセイトに、軽い励ましをかけるベナウィ。 「なぁ…、ベナウィ。1つ聞いていいか?」 セイトが振り返り呟く。 「どうしました?」 「『残っている村人』ってどういうことだ?」 「……っ!?」 ベナウィの思考が一瞬停止した。 ――残っている村人に聞いたところ、皆誰が呼びに言ったのか知らないと。 自分でも迂闊だと思った。 セイトに話すか話さないかに気を取られすぎていたようだ。 「なぁ、どういう意味なんだ?」 セイトが詰め寄ってくる。 「お前、何か隠してるだろ」 「何も隠してなどいません。あなたの考えすぎです」 「違うっ!」 セイトがベナウィの胸ぐらを掴む。 「何年お前と一緒にいると思ってんだ?それくらい分かるんだよ! お前のあの言葉、おかしな表現するなって思ってたんだ。 だから、ばあちゃんのことも聞いた。なのに、何で『ええ…』の一言なんだ? 本当にばあちゃんは元気なのか?何があった?村で何があったんだ!?」 「……」 「ベナウィ!!」 セイトの荒い息がかかる。 こうなったらもうセイトを止めることは出来ない。 それは自分が一番知っていることだ。 もう…、隠すのは無理だ。 そう感じた。 明日まで貫き通そうと思った大きな嘘は、小さな一言で崩れ去った。 本当は、話したくない。 けれど…。 「わかりました…。全て…、話します」 「へぇ…。その話は本当ですか?」 「はい…」 城内のとある一室。 そこには3つの影があった。 椅子に座っている男。 その足下に伏している男。 部屋の隅に潜んでいる女。 だが、女の姿は見えてはいない。 ただそこに気配があるだけである。 勿論、伏している男が気づいてるわけがない。 まるで室内の装飾品の一部となったかの如く闇に溶け込んでいる。 「それは実に好都合です。すぐにでも動いた方が良さそうですね」 そう言うと、男は女に声をかけた。 「あなたに屈辱を与えた男に、とっておきの方法で仕返しをしましょう」 闇の中から女が現れる。 脇腹を押さえているが、その顔に苦痛の色はない。 むしろ触れるものを皆破壊するような空気を放っている。 伏している男は、その時初めて女の存在に気づいたようで驚愕の表情を表した。 もしも女の標的が自分なら、間違いなく殺されていた。 そんなことを考える。 「ただし、あの男は私自らの手で始末します。あなたはあの男に見せてあげるのです。絶望という名の闇を…」 女は何も言わない。 それは、肯定でも否定でもない。 ただ男の命に従うだけである。 初めから、自分の意など用意されていない。 だが、この時女の顔が初めて曇った。 それに気づくものは誰もいない。 「では、あなたは引き続き偵察を」 「御意」 男が部屋を去る。 それはケナシコウルベの兵。 内通者。 「作戦を…、変更しましょう」 杯を手に、男が女に言った。 それはこれから始まる悲劇への幕開け。 |