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國仕武想 散華 「馬鹿野郎っ!!」 セイトの拳がベナウィの顔を打つ。 ごすっ、という鈍い音と共にベナウィはその場に倒れこんだ。 と、セイトはそのまま背を向けて駆けだした。 「セイト!!」 何とかして止めようと思ったが、躯が動かなかった。 わかっていた。 こうなることがわかっていたから…。 セイトは間違いなくアマギキへ向かった。 クレハを迎えに行くために。 「…何をしてるのです。私は…」 ゆっくりと立ち上がる。 セイト。あなたは、いつもそうです。 そうやって、自分の思ったとおりに行動する。 わかってるのですか? もし、あなたが助からなかった場合…。 クレハは、また大切なものをなくすのですよ。 だから私は先送りしたのですよ…。 セイト…。 いつの間にか、轟々と雨が大地を打ちつけていた。 ――あの男は私自らの手で始末します。あなたはあの男に見せてあげるのです。絶望という名の闇を…。 「くっ!」 女の拳に力が入る。 復讐心。 ベナウィに向けられた感情。 「この手で、殺せないだと…」 両腰に添えた2本の短刀。 それを各々の手で引き抜く。 月も星もないというのに、禍々しい輝きを放つ。 「はっ!」 流れるような動き。狂いのない動き。 それは確実に獲物を捕らえる動き。 2本の牙が雨を裂く。 「私は…」 ドドーーーン! 声を掻き消すが如く、雷鳴が鳴り響く。 雨はますます激しさを増していった。 雨風を切り、動く影1つ。 セイトゥレイド。 ウマの手綱を強く握りしめ、歯を食いしばる。 勢いよく飛び出したはいいものの、視界が悪い。 この雨では松明も使えない。 そもそも、この天候の中外に出るという行動自体が無謀なのである。 それなりに地形は知っているとはいえ、下手をすれば命を落とす可能性もある。 だが、今のセイトにそんな危険などどうでもいいことだった。 クレハを守りたい。 それが今の彼の動力源だ。 「待ってろよ…。クレハ」 ウマがますます加速する。 と、その時。 雨風を切り、動く影1つ。 矢。 放たれた矢は、真っ直ぐにセイトを目指す。 辛うじて気づいたセイトは、剣でそれを薙ぎ払う。 「…何だ?」 ウマの速度を落とし、辺りに気配を集中する。 「…ベナウィの言ってた殺し屋か?それとも…」 ウマを降り、木陰に身を潜めるセイト。 だが、気配は感じられない。 何処だ?何処から…。 再び矢。続けて矢。 1本を剣で払い、もう1本を避ける。 矢の飛んできた方向に意識を集中する。 が、気配はない。 動きながら撃ってるのか?それとも複数? いや、複数なら一斉射撃で仕留めることが可能だ。 だとすると…、相手は2人か。 くそっ!この雨じゃ音も聞こえやしねぇ…。 木を背に、しばらく動かずの状態が続く。 お互いが痺れを切らすのを待っているのだろうか? 静を保つ彼らを、激しい雨が打ちつける。 雨は、移動音を消す反面、矢の速度と威力、及び命中率を低下させる。 これが吉と出るか凶と出るか…。 どうする?動くか? いや、落ち着け、落ち着くんだ。 俺ならどうする? この豪雨の中、確実に相手を仕留めるには相当接近する必要がある。 だとしたら…。1つだけ雨の影響を受けずに攻撃できる場所がある。 真上…。 と、その瞬間。 ぎしっ、という何かの軋む音が聞こえた。 反射的に木を蹴り、前方に跳躍するセイト。 次の瞬間、セイトのいた場所に矢が突き刺さる。 矢。矢。矢。矢。 1人が矢を放ち、移動。その移動の際にもう1人が放つ。 矢。矢。矢。矢。 避けることで精一杯のセイトに、徐々に疲れの色が見え始める。 衣服に染み込んだ雨が、想像以上にセイトの体力を奪う。 「ちくしょう…」 セイトが吐くように言った。 部屋に座り込み、何かを考え込むベナウィ。 セイトが出て行ってから、ずっとこの調子である。 静かな部屋の中に、雨の音が響く。 後悔。 クレハを連れてこなかったこと。 セイトに話してしまったこと。 このような現状を作ってしまった自分に。 「…早く戻ってきてくださいよ」 ベナウィは呟いた。 その時である。 トントン。と扉を叩く音。 「何方ですか?」 静かに、扉が開かれる。 そこに現れた影。 雷光がそれを照らし出す。 國渡りのシルバ―― 「はぁ…、はぁ…」 荒い息を吐き、迫り来る矢を避ける。斬る。 幾多もの矢が地面に散乱している。 セイトの体力は随分と低下してるものの、それに応じて相手の体力も低下していることが唯一の救いであった。 今まで続いていた連撃がぴたりと止む。 今までにない緊張が走る。 相手の矢が切れたわけではない。 次で決める気だ。 セイトはそう思った。 息を整え、固唾を飲む。 躯は鉛を背負ったかの如く重い。 だが、こんなところで負けるわけにはいかない。 クレハを…。 その想いがセイトの躯をいくらか軽くした。 信念と信念のぶつかり合い。 その信念は、セイトの方が遥かに上だ。 閃光。 一瞬の輝きが辺りを照らした。 その僅かな瞬間に、煌めくもの。 矢尻。 セイトは雷鳴と共に地を蹴った。 國渡りのシルバが現れた。 ベナウィは一瞬、顔を強ばらせた。 「何か、ご用でしょうか?」 そう放ったベナウィの声は、いつものそれである。 「いえ、気になることを耳に挟んだもので」 淡々と喋るシルバ。 「何でしょうか?」 「セイトゥレイド殿が先程城を飛び出したと伺ったのですが…」 「誰にです?」 「いやですね。そんなに睨まないでくださいよ。衛兵に決まってるじゃないですか」 「それで?」 「まさかと思いますが、逃げたということはないですよね」 「セイトを侮辱するのですか?」 「とんでもない。一応確認しておこうと思っただけです」 ぴりぴりとした空気が部屋中に広まる。 しばしの沈黙が続く。 シルバの目は真っ直ぐベナウィを捕らえ、ベナウィの目はシルバを捕らえる。 永遠かと思われるその時間。 終止符を打ったのはシルバだった。 「では私はこれで」 軽く頭を下げて振り返る。 と、一言。 「そうそう。故郷のお嬢さんは元気ですか?」 どくんっ! その言葉に心臓が大きく跳ねる。 「何の話です?」 が、冷静に答える。 「クレハ、と仰いましたか?随分と辛い思いをなさってるようで」 シルバは振り返ることなく答えた。 「……っ!」 「早く迎えに行かなければ、もっと辛い思いをなさるかもしれませんよ」 そう言って扉を閉めた。 「貴様っ!」 ベナウィは慌てて扉を開ける。 が、そこにシルバの姿はなかった。 どくん。 どくん。 どくん。 心臓が高鳴る。 あの男が、動いた。 それも最悪の形でだ。 「くそっ…」 ベナウィは城を飛び出した。 迫り来る矢の先、人影が見える。 こちらが一瞬先に動いたのに慌てたのか、矢はセイトの肩を掠めた。 そして、今まさに移動しようとしている目標に対し意識を集中する。 「速さ比べはこっちの方が上なんだよ!!」 瞬く間に縮まる距離。 躊躇いなどない。 ただ、相手を殺すのみ。 「うおおおおおおおっ!!」 逃げる背に剣先がめり込む。 剣がみるみる男の躯に飲み込まれていく。 その根本まで飲み込まれた剣を力一杯下へ動かす。 「ぎゃぁぁぁぁぁぁ!」 右肩から股間にかけての一刀。 男は絶命した。 すぐさまもう1人に備えて振り返る。 「ぐわぁぁぁぁぁ!」 と、叫び声が響き渡る。 「え?」 向かいの木の上から真っ二つになった男が振ってくる。 と、続いて男がずっしりと地面に足をつく。 「よう」 男が軽く左手をあげる。 その右手には大剣。 クロウ。 それが男の名だった。 「お、お前…」 「また会ったな」 「どうして…」 「ん?ああ。寝床を探して彷徨いてたら、あんたが必死に矢を避けてたもんでな。 しばらく様子を見てたってわけだ。どれほど強いのかこの目で見てやろうと思ってな」 「テメェ、見てねぇでもっと早く助けろよ!」 「冗談。俺は厄介ごとに巻き込まれるのはゴメンだ」 「けっ、とにかく、礼は言っておく」 「おう。じゃぁ、勝負しようぜ。あんたが強いってのはわかった」 そう言ってクロウは剣を構えた。 「ちょっと待て。俺は急いでるんだ」 「へっ、冗談だ。今のお前じゃ十中八九俺に勝てやしねぇ」 「だろうな。今度また試合ってやるよ」 と、言ったその時。 とすっ。 「え?」 とすとすとすとすとすとすとす。 セイトの躯を突き抜ける衝撃。 「……」 崩れるセイト。 それを受け止めるクロウ。 「おいっ!セイトっ!」 クロウの声が響く。 流れる血。血。血。 熱い血。血。血。 赤い血。血。血。 すべてが雨に流される。 俺は…、こんなところで死ぬのか? 嘘…、だろ? なぁ、ベナウィ…。俺は…。 ……。 クレハ…、待ってろ。すぐに行くからな。 ……。 何で…、何で動かないんだよっ! 何で…、痛いんだよ…。 …くしょう。 ちくしょう!ちくしょう!ちくしょう! ちくしょおおおおおおおおおおおおおおおお! 雷鳴が、激しく響き渡った。 動かなくなったセイトをそっと地に置き、クロウが立ち上がる。 「…テメェら、出てこいよ」 闇に向かってそう言った。 が、反応はない。 「…くしょう。逃がさねぇ!!」 勢いよく地を蹴る。 その巨体には想像できない程の速度。 「…許さねぇ。絶対に」 怒り。 出会って僅かだが、セイトとクロウは友であった。 いつか剣を交える約束。 叶わぬ夢。 友の仇。 構えた大剣が木を裂く。 木から木へと移動していた弓使いが体勢を崩し落下する。 それを一撃。 声をあげる暇もなく絶命。 続いて視界に入った敵目掛けて大剣を投げつけ、同時に追いかける。 空中を幾度か回転し、敵の背中を切り裂く。 地に刺さった剣を引き抜いた瞬間、肩に矢が刺さる。 が、びくりともせず、矢を放った方に目をやる。 次なる矢を構える男目掛けて加速。 断! 断! 断! 向かいくる矢をものともせず、剣を振るう。 「おぉぉぉぉぉぉぉっ!」 雷のような叫び声が、森に轟いた。 アマギキへ向けてウマを進める。 視界は最悪。 が、速度を落とすわけにはいかない。 一刻も早く、アマギキへと向かわねば…。 ――早く迎えに行かなければ、もっと辛い思いをなさるかもしれませんよ。 シルバの言葉が蘇る。 せめて、せめてセイトが間に合ってくれれば…。 と、思った途端。ウマが急激に速度を落とした。 「…っと」 崩しかけた体勢を整える。 「どうしたのです。レヴン」 レヴンは地面の臭いを嗅ぎ、辺りを見回す。 「何か、あるのですか?」 ウマを降り、辺りに気を配る。 と、遠くで悲鳴がする。 「…戦?いや、違う」 悲鳴の聞こえた方に意識を集中する。 が、それ以来全く音はしない。 いや、正確には雨で聞こえなかったのだ。 とにかく先を急ごうと、ウマにまたがろうとした時、地面に転がる影を見た。 不審に思いそれい近づく。 「――――――ッ!!」 全身を走る衝撃。 セイトゥレイド。 躯中に矢を受け、既に絶命している。 「セ…、セイト…」 頭の中が真っ白になり、何も考えられない。 嘘だ…。 何度もそう言い聞かすが、目の前の亡骸はどう見てもセイトである。 「……」 言葉が出ない。 自然と拳に力が入る。 湧き上がる感情。 それは何故か怒りだった。 哀しみなど、とっくの昔に通り越したのかもしれない。 怒り。 それは目の前に広がる光景を事実と受け止めた証。 だが、今はやるべきことがある。 クレハを守らなければならない。 セイトもそれを思い飛び出していったのだ。 「セイト…、借ります…」 セイトの腰から剣を取る。 師の残した、エヴェンクルガの剣。 「あなたと共に…」 そう呟きウマにまたがる。 友の死を受け入れ、いざゆかんアマギキへ。 「……はぁ、はぁ」 闇に立つ大柄の男が1人。クロウ。 その手に大なる剣を持ち、額の汗を拭う。 いや、それは雨なのかもしれない。 ずぶ濡れになりながら、森の中を彷徨う。 既に十数人の敵を絶命させている。 「……くそっ!何人か逃したかもしれねぇ」 呟き。それは嘆きのようにも聞こえる。 ゆっくりと剣を背負うと、元来た道を引き返した。 倒された木。死体。 それが目印だ。 仇討ちは終わった。 だが、気分は晴れない。 「ちくしょう…」 あの時自分が気づけば…。 背後に潜む敵に気がついてさえいれば…。 「ちくしょう…」 同じ言葉を繰り返す。 何度も。何度も。 歩きながら、躯に刺さった矢を抜く。 …3,4,5本。 それほど痛くはない。 鍛えられた肉体が、それなりの壁となった。 「痛くはねぇ…。が、やりきれねぇ…」 セイトゥレイド。 出会って僅かだが、心の何処かで友と認めた存在。 一度目の出会いは城下町だった。 金を貸してくれと自分がせびったのだ。 何となく良い奴だと思った。 友となった瞬間。 二度目の出会いはつい先刻のことだった。 敵に襲われている真っ直中だった。 助けてやれば、憎まれ口を叩かれた。 だが、不思議と不快ではなかった。 そして、最期は呆気なかった。 試合いたかった。 心の底から、本気で戦える奴だと思った。 でも、それはもう叶わない。 「…くしょう。俺と試合うんじゃなかったのかよ…」 頬を熱い涙が伝う。 それはしばしの時、止むことはなかった。 アマギキまで直線で後少し。 暗闇のため確証はないが、自信はある。 記憶がそう告げる。 セイトがやられた…。 つまり、シルバが確実に動き出したということ。 あの言葉でも『脅し』ではなくなった。 自分より先に飛び出したセイト。 既にアマギキにもシルバの手がまわってるかもしれない…。 しかし、あの場で一瞬聞こえた戦いの音。 あれは何だったのだろうか? いや、今はそんなことはどうでもいい。 急がなければ…。 アマギキへ。 闇を駆ける。駆ける。駆ける。 ひたすら駆ける。 雨を、風を、すべてのものを切り走り抜ける。 と、闇の先に妖しく光るもの。 瞬時にあの女だと判断したベナウィは、ウマを加速させる。 2本の光は動かない。 徐々にそれとの距離が縮まる。 3,2,1…。 襲いかかる2本の牙。 それを槍で受け止めるベナウィ。 ウマの力を加え押し切る。 「今はあなたに構ってる暇はないのです!」 振り向き、女に言を放つ。 が、それを知ってか知らずか、女は勢いよく地を蹴った。 開いた距離が再び零へと近づく。 右の短刀の横薙。 槍での防御。 左の短刀の横薙。 槍での防御。 続けて、右、左、右、左。 相変わらずの素早い動き。 ウマと並ぶ速度を保ちながらこの攻撃。 何故だっ!何故攻撃して来ないっ! 女の目がそう言った。 その直後、女が加速した。 ベナウィの先を行き、振り返る。 「はぁぁぁぁぁぁ!!」 甲高い叫び声と共に、懐から何かを取り出し投げつけた。 轟! 地面が激しい悲鳴をあげる。 ベナウィは手綱を強く握り、ウマを急停止させる。 …爆発した? と思った瞬間、闇の向こうから光が現れた。 「しまっ…!!」 女が放った短刀。 それが真っ直ぐ飛んでくる。 先程の爆発。 目眩まし。 短刀を投げるその動きを隠すためのもの。 それだけではない。 相手の意表を突くには十分な効果だ。 慌てて槍で払う。 が、時僅かに遅し。 微かに軌道を変えたそれは、ウマの躯へと向かう。 肉のえぐれる音とともにウマが暴れ出した。 体勢を崩したベナウィに、女が飛びかかる。 「…死ね!」 体重をかけた一太刀を咄嗟にセイトの剣で防ぐ。 力一杯押し返すと同時にウマから身を離す。 空中で剣を仕舞い、槍を構える。 着地。 地面を転がり、短剣を拾う女。 ベナウィはすぐさま地を蹴り、距離を詰める。 突ッ! 突ッ!突ッ! 突ッ!突ッ!突ッ! 疾風の如き突き。 女はそれを辛うじての距離で避ける。 反撃。 身を屈め、地を滑るように動く女。 瞬く間に距離が詰まり、両刀による斬り上げ。 1歩下がり、槍を地面と水平に防ぐ。 と、鳩尾に衝撃。 斬り上げから蹴り。 足に体重を乗せ、衝撃に耐えるベナウィ。 何とか倒れることはなかったが、女の攻撃はなおも続く。 右短刀による突き。 喉を狙ったその剣先は、ベナウィの肩に刺さる。 「…っ!」 同時に、逆手に持ち替えた左短刀による横薙。 が、槍で防ぐベナウィ。 「何故邪魔をするのですっ!」 「私には関係ない!」 さらに攻め込んでくる女。 このままでは…、負けるっ! ベナウィは一か八かの賭に出た。 セイトの剣を右の逆手抜き、そのまま女目掛けて投げつけた。 空中を斬るその剣は、女の短刀によって払われる。 が、若干速度が落ちた。 その瞬間、ベナウィは大きく踏み込み槍先を地面に埋め、勢いよく縦の半円を描く。 豪雨によりほとんど泥状となった地面がえぐられる。 大地より放たれた泥が、女を襲う。 爆発に同じく、視界への攻撃。 防いでも隙は出来、防がずば視界を奪われる。 咄嗟に腕で顔を覆う女。 隙が生じた瞬間。 ベナウィの槍が女の腹部を力一杯突く。 鈍い音。 しばしの停滞。 女はゆっくりと崩れた。 「はぁ…、はぁ…」 女を見下ろすベナウィ。 「…何故」 何故この女を殺さなかったのだろうか? ベナウィが自問する。 女への攻撃は、槍先によるものではなかった。 むしろその逆の部分だ。 2度も自分を襲ったというのに…、何故…。 考えるが、すぐに我に返る。 そうだ。アマギキへ…。 と、顔を上げたその先に。 「レヴン…」 ぐったりと地面に倒れている愛馬レヴン。 白いその躯から真っ赤な血が流れ、激しく打つ雨がそれを洗う。 爆発後の女の攻撃。 反応が遅れた…。ほんの僅かなその時間に、運命が変わった。 胸が苦しかった。 もう言葉が出ない。 けれど…。涙が出ないのは何故でしょう? 侍大将という位に就いてから、このレヴンとは戦場を共にした。 命を救われたこともある。 だというのに…、涙が出ないのは何故でしょう? この虚しさは、何なのでしょう? 軽く頭を振る。 「…ありがとう」 そう呟き、走り出す。 アマギキまではそれほど距離はない。 激しく降りしきる雨。 それがベナウィの邪魔をする。 だが進まなければならない。 ベナウィの影が闇へと溶けていった。 地面を駆ける足音が聞こえなくなってから目を開ける。 暗黒の空から、無数の雨が降り注ぐ。 女はゆっくりと躯を起こした。 「……負けた」 腹部に手を当てる。 人肌ではない固い感触。 短甲。 胴を守る武具である。 黒装束の下に身につけていたそれが、衝撃をいくらか和らげてくれたのだ。 お陰で気絶までには至らなかった。 「侍大将ベナウィ…、か…」 ぽつりと呟く。 その瞳はどこか深く濁っていた。 立ち上がり、短刀を拾い腰に差す。 と、草陰から1人の男。ケナシコウルベの兵だ。 「リア様、命令違反です」 「……貴様になどわかるものか」 「…っ!リア様、何を!」 闇を裂く一筋の閃光。 一瞬男の悲鳴が響いたが、それきり声は聞こえない。 「任務を続行する…」 さて、どうしたものか。 男は考えていた。 背負った大剣。それすら小さく思わせる巨体。 クロウと呼ばれる男である。 既に涙は流し尽くした。 死んだ人間は戻ってこない。 それくらい理解できる大人である。 「ん〜〜〜〜〜」 顎に手を当て、ありったけの知恵を絞る。 だが、納得できる答えが見つからないのだ。 クロウが悩んでいること。 セイトの遺体をどうするかだ。 既に躯から矢は抜き取った。 多少の血は出たが、仇討ちをやってる際にほとんど流れ出たようだ。 白く冷たくなった顔が嘆かわしい。 このまま放置するのはいけねぇよなぁ。 城へ連れていくのもなぁ。下手すりゃ自分がやったと思われる。 そういや、どこかへ行こうと慌ててたなぁ。 城とは反対方向か…。それだけじゃわからねぇか。 しかし、気になることがひとつ。 剣がなくなってやがる。 どっかの野郎が盗んでいったのか? まぁ、首が取られてなくてよかったぜ。 「どうすりゃいいんだ?」 セイトに問いかける。 が、答えなど返ってくるはずがない。 クロウの心に、虚しさの風が吹き抜ける。 「しゃあねぇ。城まで連れて行くか…」 よっこらせとセイトの亡骸を肩に担ぐ。 「侍大将ベナウィか。話がわかるやつだといいけどな」 そう呟き、ウマを走らせた。 アマギキの入り口を越え、村長の家へと足を進める。 村にはただ雨の音だけが響き渡る。 人の気配はない。 それぞれの家にいるのではなく、おそらくはもういないのであろう。 目映い閃光。後に轟。 雨によって掘り返された畑から、無惨にも顔をのぞかせる未成長のモロロが目に映った。 そんな光景が心を不安にする。 急がなくてはという焦り。 それがベナウィを覆い尽くした。 何度と滑りそうになりながら、小高い丘の上にある村長の家を目指す。 雨で濡れた武具が激しく体力を奪う。 それでもベナウィは走った。 ただひたすら走った。 村長の家の前に辿り着く。 荒い息を整える。 この扉の向こうに、一体どんな光景が広がっているのだろう。 扉に触れる手が震えた。 どくん。どくん。どくん。 無事であって欲しい。 いや、必ず無事だ。 あの女もさっき倒したではないか。 そう心に言い聞かせる。 だが、高鳴る鼓動は押さえられない。 そして、ベナウィは勢いよく扉を開いた。 「そうですか。多少の犠牲はありましたが、セイトゥレイドは無事始末できましたか」 シルバが言う。 見慣れた場所。豪華な内装だが、どこか質素な感じがする部屋。 部屋の中心に灯った明かりが、全体をぼんやりと照らし出す。 「はい。その時居合わせた男に、13名の部下をやられましたが何とか」 部下と思われる男が答える。 「大剣を持った男ですか。例の情報屋の時にも現れたようですが、何者です?」 「それについては今調べさせております。もうしばらく時間がかかるかと」 「そうですか」 杯を口に運ぶ。 銘酒のはずだが、どうも不味く感じる。 いや、味がしないと言った方が正しいだろうか。 これから始まることを想像する。それがシルバの気持ちを高ぶらせた。 「ここからは私の仕事です。あなたたちは隙を見計らって城を抜けなさい」 「御意」 男が天井へと姿を消した。 「采は投げらた。もう、後戻りは出来ませんよ。侍大将…」 扉の向こうに開けた世界。 吸い込まれそうな闇。 その深く染まった黒一色の世界に、胸が高鳴った。 と、何者かが動く気配。 「……クレハ?」 闇に問いかける。すると…。 「ベナちゃん?」 声が返ってくる。 クレハだ。 その声に、ほっと胸を撫で下ろす。 心の底に重くのしかかっていたものが、音を立てて消え去った。 深い闇からゆっくりと現れる影。 それが徐々にクレハを形成していく。 完全な形となったそれは、扉の前に立ちつくしていたベナウィの前のすぐ側まで来ていた。 「どうしたの?こんな雨の中…。ずぶ濡れ…」 クレハの声。 クレハの顔。 クレハの手。 クレハの足。 クレハの躯。 求めていたものが、今目の前にある。 ベナウィは、そっとクレハの手を取った。 「迎えに…」 言葉が上手く出てこない。 「とにかく、入って…」 クレハに手を引かれ、家の中へと入る。 全身から滴る水が床を濡らす。 よかった…。 本当によかった…。 心から溢れ出る気持ち。 「とにかく、これで躯拭いて。風邪ひいちゃうよ」 クレハが差し出した浴布を受け取る。 それで頭を拭いた。 想像以上に濡れていたのか、浴布はすぐに水分でいっぱいになった。 「本当にどうしたの?」 クレハが再度聞いてくる。 先程よりは随分気分が和らいでいる。 「クレハを迎えに来ました」 今度ははっきりとそう言った。 一度落ち着きを取り戻せば、後はいつものベナウィだ。 「いろいろありまして…。仕事はまだ終わってないのですが…」 いろいろ。 確かにいろいろあった。 いや、ありすぎたのかもしれない。 「わざわざこんな雨の中無理に来なくても…」 と、クレハ。 「いえ、来なければならなかったのです」 そうだ。来る必要があったのだ。 こんなところで時間を費やしてる暇はないのだ。 シルバはアマギキのことを知っていた。 となれば、この場所に長く止まるのは危険だ。 一刻も早く、今来た道とは別の道で城に戻らなければならない。 「さぁ、行きましょう」 クレハに手を差し伸べる。 「え?でも、雨…」 戸惑うクレハ。 「急がないといけないのです。説明は後でします」 ベナウィは言った。 「う、うん」 その気迫に押されてか、素直に手を取るクレハ。 2人の手が重なった。 と、その時。 屋根が砕ける音と共に、一筋の閃光が降り注いだ。 まるで雷のように見えたそれは、クレハの背後を襲った。 斬! そんな擬音が相応しい。 クレハの背中から、赤い血潮が溢れ出す。 どくんっ! ベナウィの心臓が、破裂しそうな程高鳴った。 僅か一瞬の出来事が、ひどく長く感じられた。 襲ってきたのは女。 ベナウィが倒したはずの女だ。 女は短刀を仕舞うと大きく跳躍し、壊れた屋根へと消えた。 クレハがその場に崩れる。 繋いだその手だけが、暖かかった。 何も出来なかった。 動くことさえ出来なかった。 まるで金縛りにあったようだった。 目の前で繰り広げられた一瞬の出来事。 夢を見ているかのような感覚。 「ベナ…」 クレハの声を聞き、我に返る。 慌ててクレハを抱き起こす。 背中にまわした手に、べとりとした感触がまとわりついた。 「クレハっ!クレハっ!」 声が響く。 「ベナちゃん…」 「クレハ…」 その存在を確認するかのように名前を呼び合う。 「一緒に…、行けないかも」 「何を…、何を言ってるのです!?」 強くクレハの手を握る。 が、それは一方的なものだ。 壊れた屋根から、雨が降り注ぐ。 それが2人を濡らした。 「…ごめんね」 消え入りそうな声でクレハが言った。 「………っ!!」 謝るのは自分の方だ。 クレハを巻き込んでしまった。 クレハを守ることが出来なかった。 クレハを。クレハを。クレハを。 なのに…。 どうしてあなたが謝るのです? 「クレハ…」 その胸に手を当てる。 微かに感じるクレハの鼓動。 外は雨。 激しく大地を打ちつける雨。 その雨は、彼女の命の鼓動まで掻き消そうとしている。 今、私の頬を流れているのは涙だろうか? ベナウィにはそれすらも分からない。 ただ分かるのは、彼の腕の中にいる少女が遠くへ逝こうとしているということだけだ。 彼女が何をしたというのです? 『何か』に問いかける。 答えなど、返ってくるはずがないのは分かっている。 だが、今のベナウィにはそれでも問い続けることしか出来なかった。 ねぇ、ベナちゃん。 ベナちゃんは、大きくなったら何になるの? 私ですか?そうですね。今よりももっと強く賢くなって、この國を守りたいですね。 この國を? ええ。今はちょうど戦が激しい時期で、たくさんの村や町の人々が苦しい生活を送っています。 ですから私は、そういったことを出来るだけ少なくし、みんなが笑って暮らせるような、そんな國にしたいのです。 ベナちゃんてすごいんだね。 そうですか? うん。わたしはそんな難しいことはよくわからない。 クレハもいつかわかりますよ。 そうかなぁ? ええ。 そうしたら、ベナちゃんのお手伝い出来る? それは…、どうでしょうね。クレハの努力次第です。 わたしがんばる。 それで、クレハは何になりたいのですか? わたし?わたしはねぇ、ずっとこの村にいるの。 ずっと、ですか? そうだよ。わたし、この村が大好きだよ。 ベナちゃんがいて、セイトちゃんがいて、父さまや母さまがいて。 だから、ずっとこの村にいたい。 そうですか。 うん。いつかこの村でお嫁さんになって、子供つくるの。 そして、その子にも教えてあげるの。 この村はとっても楽しいんだよ、って。 ……。 ねぇ、その子もこの村を好きになってくれるかなぁ? ええ。きっと好きになってくれますよ。クレハが好きな村ですから。 うん。そうだとうれしい。 でしたら、私はますます頑張らなくてはいけませんね。 ん?どうして? クレハに子供が出来た時、この村が戦でなくなってたら困るでしょう? うん。困る。 だから、私が守ってあげますよ。この村も、この國も。 いつかクレハと、その子供が毎日笑顔でいられるように。 本当!? ええ。約束します。 じゃぁわたしもがんばらないと。 何をです? ベナちゃんのお手伝い。 本気だったのですか? あたりまえだよ。わたしがんばるよ。 だからね、だから―― 「この國を…、守り抜いて…」 クレハの声がしたような気がした。 冷たい雨が2人に降り注ぐ。 雨が彼女の温もりを奪っていく。 駄目だ、このままじゃ彼女が…。 そう思ったベナウィは、無意識のうちに力一杯彼女を抱きしめていた。 雨が温もりを奪うなら、自分が暖めてやればいい。 誰が見ても彼女は到底助からない。 彼がしている行為は、まるで無意味なことである。 しかし、今のベナウィにはそんな安易な判断さえ出来ないほど焦燥していた。 目の前で、大切な人が今にも逝こうとしている。 そんな光景を目の当たりにして、誰が正常を保てようか。 彼は祈った。 もし神がいるなら、この子を助けてやって欲しい。 だが、現実とはいつも残酷だ。 命の灯火は、その光を失った。 ケナシコウルベの城。 随分とかかったが、再びその地へ足を踏み入れる。 太陽はとっくに顔を出し、その光を大地に注いでいる。 まるで昨日の雨が嘘のようである。 「ベナウィ様」 門の衛兵が駆け寄ってくる。 「実は、昨夜…」 衛兵の話によれば、昨夜セイトの亡骸を担いだ男がやってきたらしい。 そして、男は現在地下牢にいるという。 「後で伺います」 そう告げると、城内へと足を進めた。 トントン。 扉を叩く音がする。 「何か用ですか?」 男が言う。 國渡りのシルバ。そう呼ばれる男だ。 扉が開き、1人の兵が入ってくる。 その腕には、花束が抱えられている。 「失礼します。実は、インカラ皇がこれを是非シルバ様にと」 そう言って兵が花束を差し出した。 素直に受け取るシルバ。 「ラセラの花ですか。いい香りですね」 ラセラの花。 ケナシコウルベ領土で見ることが出来る、特に珍しくもない花だ。 しかしその心地よい香りが人気で、葉の部分が傷薬にもなるという植物だ。 「ご苦労様です」 「はっ!」 軽く敬礼し、兵は部屋を去った。 と、すぐに花束が床に捨てられる。 「ふん。愚かな皇がご機嫌取りですか。馬鹿馬鹿しい」 インカラ皇がこうして何かをよこすのは珍しいことではなかった。 と、言っても本人がしているわけではない。 機嫌を取れと命令された側近が、独自の判断で行っているのだろう。 インカラ皇より花束の贈呈があって、しばらく経った頃。 ぎぃ、と音を鳴らし、ゆっくりと扉が開かれた。 「誰です?許可も…」 と、シルバの視界に飛び込んできたもの。 侍大将ベナウィ。 左腰に剣を差し、右手に槍を持っている。 ふっ、とシルバの口元が緩んだ。 「どうしたのです?」 が、ベナウィは何も答えない。 ばたん、と扉が閉められた。 「随分と沈んでいる様子ですが、何かあったのですか?」 が、やはり何も答えない。 それを見たシルバが懐に手を入れた。 「そうですか。喋れないほど傷つきましたか」 ベナウィがそれに応じて槍を構える。 「いいでしょう。相手をしてあげますよ。まぁ、今のあなたに勝ち目はないでしょうけど」 直後、シルバの懐から手が抜かれたかと思うと、何かが飛んだ。 ベナウィは槍でそれを払い落とす。 飛針。 シルバの得意とする武器である。 「へぇ。今のを落とせるほどの力は残ってるわけですか」 と、続け様に2本。遅れて2本の飛針が宙を裂く。 右に避けても左に避けても確実に1本は当たる軌道だ。 ベナウィはその場に立ちつくし、最初の1本を槍で払った。 1本が腕に刺さり、1本が足を掠る。もう1本は外れたようだ。 腕から血が流れる。が、ベナウィはそれを抜こうともせず、前進を始めた。 「おや。向かってくるのですか。勇ましいことです」 そう言って再び懐に手を入れる。 「ですが、そうやって動いていられるのも今のうちですよ」 3本の飛針がベナウィを襲う。 槍で払うより手で直接払った方が素早いと判断したベナウィは、2本を払う。 1本は足に突き刺さった。 と、ベナウィの躯に異変があった。 「言い忘れてましたが、この飛針にはある薬が塗ってあります。本来は毒なのですが、今回は痺れさせるものです」 痺れの所為で、躯が鈍い。 ベナウィはそれでも前進する。 「勿論、あなたをこの手でじわじわと殺すためにそうしたのですが…」 シルバの飛針が次々と宙を舞う。 何とか腕を振り、それを払おうとするが、躯は思い通りに動かない。 上手い具合に躯を掠める飛針もあれば、腕や足に刺さる飛針もある。 急所を狙っていないところを見れば、じわじわ殺すというのは本当らしい。 躯のいたるところから血を流しつつも、ベナウィはなお前進する。 シルバはその場を動くことなくその光景を楽しんでいる。 もう少しでシルバに届くというところ。 ベナウィは槍を捨てセイトの剣を抜いた。 「おや、相棒の剣で仇討ちというわけですか。泣かせますね」 ゆっくりとその剣を振り上げる。 その剣がまさにシルバ目掛けて振り下ろされようとした時。 シルバの放った飛針がベナウィの胸を貫いた。 それは確実に心臓を捕らえていた。 「いくらあなたといえども、目の前で大切なものを失うということには耐えられませんでしたか…。 ケナシコウルベの侍大将ベナウィ。もう少し楽しめる男かと思っていましたよ」 シルバが言った。 「これでこの國の戦力は一気に落ちる。後は他の國に任せるとしましょう。既に部下を向かわせています。 と言っても、あなたにはもう関係のないことですけど」 声を張り上げ、シルバは笑った。 ベナウィがその場に崩れ落ちる。 まさにその時である。 シルバの背から腹へと走る衝撃。 「なっ!」 突然のことに驚いたシルバは、ゆっくりと後ろを振り返った。 侍大将ベナウィ。 シルバの目に飛び込んで来たもの。 「何故…、お前が…」 と、今殺したはずのベナウィに視線を戻す。 そこにいたのは…。 「気づきましたか?あなたが他國に向かわせたという男です」 ベナウィはいつもの口調で喋る。 感情を含まない、無の言葉だ。 「花は、受け取ってもらえたようですね」 その言葉にはっとするシルバ。 「……まさか!?ミレの実を…」 「ご存じでしたか。その通りです」 ミレの実。 それ自体はただの食料だが、その種に特殊な効果がある。 幻覚作用。 それもかなり強力なものである。 潰して粉状にすれば無臭で、気づかれることはない。 しかしこのミレの実。 かなり稀薄なものである。 手に入れるのはかなり、というか不可能に近い。 「何故、そんなものが…」 「チキナロという男から買ったのですよ」 「あの情報屋…」 「ええ。あなたが始末仕損ねた男です」 皮肉を込めてベナウィが言った。 「ただの情報屋かと思っていましたが…。まさかこれ程とは…」 と言い咳き込むシルバ。その口から血が零れる。 ずぶり、と音がして槍が抜ける。 そこからさらに血が流れる。 足を引きずらせ、ベナウィと距離を取るシルバ。 扉を開き、外に出る。 外にいた兵士が、何事かと慌てる。 「ベナウィ様、シルバ様。これは…」 「何でもありません!」 荒々しくシルバが言った。 兵の目がベナウィに向く。 「構いません。放っておきなさい」 ベナウィがそう言うと、兵は渋々元の位置へと戻った。 「國渡りのシルバ。もう少し楽しめる男かと思っていましたよ」 血痕を残しながら遠ざかるシルバに対し、ベナウィが呟いた。 ふらふらと城門を出る。 衛兵たちは何も言わず、何もしない。 ただ、その姿を眺めているだけである。 手が赤く染まっている。 己の体内から溢れ出るもの。 血だ。 荒い息を吐く。 その度に傷が痛む。 國渡りのシルバ。 そう呼ばれる男は、薄れゆく視界の先に1つの影を見た。 影は徐々に自分との距離を詰めてくる。 いや、自分が近寄ってるのだろうか。 どちらでもいい。 その影の姿が鮮明なものへと変わる。 神の眼のリア。 それが影の正体であった。 シルバはリアの躯に倒れ込んだ。 「もう…、十分だろう」 リアがシルバの躯を抱きながら言った。 「…姉さん」 シルバの口から微かに零れた声。 2人は闇に溶け込むが如く、森の奥へと姿を消した。 空は青く晴れ渡り、太陽が煌めいている。 流れるように雲が過ぎ、彼方へと消え去っていく。 自分の存在を誇張するように背を伸ばす木々。 その躯は光を受け輝いている。 巣から顔を出す動物たち。 雨で命を失ったものもいるだろう。 城下の町は今日も人で溢れ、笑い声が響き渡る。 いくつもの村では、昨日の雨でやられた畑に嘆きの声をあげる。 大きな水たまりにはしゃぐ子供たち。 どろどろになるまで遊び回る。 雨の日の翌日。 この地に住む人々にとっては珍しくもない日常。 当たり前のように訪れる日常。 ケナシコウルベ。 この國を守る男がいた。 侍大将ベナウィ。 それが男の名。 彼は今日もこの國のためにその身を尽くす。 うしなった友と、大切な人との約束のため。 この國に住む全ての人が、笑顔で明日を迎えれるように。 いつまでも、幸せな時間が続くよう。 |