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「兆候」
大陸北方の国、トゥスクル。
この国に皇が戻り、しばらくの時が流れていた。
皇の名は、ハクオロ。
かつて仮面皇と呼ばれた、北の賢皇。
シケリペチム、クンネカムンという強大なる国を打ち破り、
新興の国トゥスクルを、大陸最大の国にした皇である。
かの皇がトゥスクルに戻ったという報せは、
周辺諸国に多大なる影響を与えた。
国交や政策、そして……軍事に関して。
トゥスクル皇不在の間、相争っていた国々が、
その報せを受けた途端、一斉に矛を収めた。
――弱ったところを攻められてはたまらない。
そういった怯えが、彼等の諍いを止めさせたのである。
トゥスクルの方から、侵略した例はこれまでにない。
しかし、これからもそうとは限らない。
加えて、今トゥスクルには、ギリヤギナとエヴェンクルガという、
戦いの象徴である者達が戻ってきていた。
一度はトゥスクルを離れたその者達が、である。
これで警戒するなという方が、難しい話だった。
……もっとも、ごく最近に限って言えば、
戦が起こらないのは、かの皇の影響ばかりではない。
トゥスクルには今、賢大僧正が滞在していた。
戦を収める調停者の最高位。
……少し前なら、近くの国にいる、というだけで、
そんな影響を与える事は無かっただろう。
直接何か言ってくるなら、話は別だが。
それが何故、影響力が増しているのか……。
それは、あのクンネカムン皇都での事。
“浄化の炎”という名の神罰を、彼らが恐れているからだった。
……ともかく、そう言った理由から、
トゥスクル周辺においては表面上は至って平和であり、
戦のにおいなど感じられない。
――いや、感じられなかった。
その事件が、起こるまでは……。
「アヴ・カムゥ!?」
トゥスクル皇宮、執務室を兼ねている書斎。
いつものようにベナウィと政に追われていたハクオロは、
危急の報せに耳を傾けた。
「はい。オンヴィヤーナの砦近くにて、
その姿を見たという報告が入っています。」
……いま、その報告をしているのはドリィだ。
グラァも、その傍らに控えている。
判別のつかないこの双子の顔は、
今はひどく真剣な表情を浮かべていた。
「……詳しい事を聞かせてくれ。」
「「はい。」」
ハクオロのその言葉に、二人が頷く。
「……調査のきっかけは」
「その砦で流れた噂でした。」
その報告の内容は、こうだった。
――アヴ・カムゥの、亡霊が出る。
その噂が流れたのは、
トゥスクル南方の砦、オンヴィヤーナでの事。
兵たちの間で、まことしやかに語られる、黒い鎧の話。
――曰く、クンネカムンの怨念の塊だとか。
――曰く、大戦の生き残りだとか。
ありがちな怪談話は、目撃者の続出によって、真実味を帯びた。
クンネカムンの鬼人がそこにいる――
……兵たちの動揺は、かなりのものだった。
あの大戦からしばらくの時が流れたとはいえ、
その恐怖はいまだ記憶に新しい。
中にはかつての恐怖から、
精神的にやられて、逃げ出す者まで出てくる始末。
その砦、一時はいっそ堂々と攻めてきたもらった方が、
まだましかと思われる状態にまで陥ったのである。
事態を重く見たドリィとグラァは、
事実関係を調査すべく、部隊を派遣。
今回の報告に至った次第だった。
「……確かなのか?」
ハクオロが問う。
「僕達の隊の人間、三人に行ってもらったところ」
「二人がその姿を確認、一人から連絡が途絶えました。」
……ここで言う“隊”は、弓兵隊の事ではない。
主に諜報活動を行う、オボロ配下の乱破衆の事である。
間違いない、と頷く二人に、ハクオロは思わず呟いた。
「……まだ、残っていたのか……」
――あの時。
クンネカムンの皇都が、焼き尽くされたあの時。
それは全て、失われたものだと思っていた。
あの炎を逃れたとしても、
“もう一人の自分”が、持ち去ったものだと。
しかし――
「聖上。いかがいたしますか。」
思いにふけるハクオロに、ベナウィが指示を仰ぐ。
我に帰るとハクオロは、少しだけ考えて、口を開いた。
「……放っておくわけにはいかないな。
そう数がいるとも思えんが…一体でもあれは脅威になる。」
アヴ・カムゥの戦闘能力は、疑うべくもない。
熟練の兵士なら相手取る事もできようが、
残念ながらそういった人間は数が少ないのが事実だ。
鬼人を倒せるほどの者となれば、精鋭中の精鋭。
この皇宮にいる幾人かの者を除けば、それ以外はほとんどいない。
最悪、その砦周辺が壊滅する可能性があった。
「だが、討伐隊を組むのは早いな。
相手の数も目的もはっきりしない。詳しい調査が必要だ。」
「御意。」
ハクオロの言葉に、ベナウィが頷く。
「ドリィ、グラァ。
オボロと共にオンヴィヤーナへ向かってください。」
「「はい!!」」
「――わかっていると思うが、
軍を動かせば周辺諸国に警戒心を抱かれる恐れがある。
精鋭のみを連れた少数で、事に当たってくれ」
「「わかりました!」」
ハクオロの言葉に頷くと、二人は書斎を後にした。
その背中を見送って、ハクオロはポツリ、と言葉を漏らす。
「アヴ・カムゥか……」
「何故今になって、という感がありますが……」
その呟きに応え、ベナウィがそんな事を口にした。
確かに、あの戦から、随分な時が経っている。
そう、このトゥスクルから皇が去り、
そして再び、戻ってくるだけの時間が……
「……戻ってきたから、だろうな。私が」
「……あるいは何らかの備えをしていたかと。」
「……フ」
失言に気付いたのだろう。
暗に、ハクオロのせいではない、と言ってくるベナウィに、
彼は軽く、笑みを漏らした。
自嘲的で、でも優しげな、そんなあいまいな笑み。
「……聖上。」
「――オボロ達だけで、大丈夫だろうか。」
咎める様な、いたわる様な声をかけるベナウィ。
その声を聞いて、話題を変えるべく、ハクオロはそんな言葉を漏らした。
……とはいえ、適当に言った言葉ではない。
実際問題、それは懸念事項だった。
アヴ・カムゥの装甲に、弓の効果は望めない。
刀などの直接攻撃にて、装甲の継ぎ目を狙うしかないが、
それは相当の技量が必要になる。
いかに選り抜きの精鋭を連れて行くとはいえ、
彼らは技量的にオボロよりもずっと劣るのだ。
調査が主体とはいえ、場合によってはそのまま戦闘にもなる。
有効な攻撃が出来るのがオボロ一人では、心許なかった。
「そうですね……。トウカとカルラにも出てもらいましょう。
あの二人なら、大抵の相手には負けはしません。」
「……ああ、それがいい。……そうしてくれ。」
「御意。」
ハクオロの同意を得て、ベナウィが席を立つ。
一度だけ、何かを言いたそうにハクオロを見て……
……結局そのまま、書斎を出て行った。
……彼の言おうとした言葉は、ハクオロにはわかっていた。
――気にするな、というのだろう……?
心中で呟く。
報告にあった、アヴ・カムゥ。
焦土と化した、クンネカムン皇都。
対クンネカムン勢力の、要であったトゥスクルと、その皇たる自分。
少な過ぎる情報で、相手を想像するのは早計というものだ。
だが……この条件は、嫌でもその目的を連想させる。
それは即ち――
「――復讐、だろうな。おそらくは……」
ひとりごちたハクオロの声は、悲しい響きを含んでいた……。
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