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「接触」
……空を、見上げていた。
青く透き通る空に、白く流れる雲。
日の光が穏やかで。
あまりにも穏やかで。
だから心は、空虚になる……
男は、そんな事を思った。
まだ若い青年。
その長い耳から、彼がシャクコポル族である事がわかる。
……彼が今、空を見上げているのは崖の上。
視線を下げれば眼下には、岩壁に囲まれた広場が見えた。
その向こうには森の入り口。
広場から続く一本だけの道は、その森に続いている。
……それはまるで、闘技場のようだった。
あの道を塞げば、それでここは閉じられた世界になる。
――ここが闘技場であるなら、自分は闘いを前にした剣奴だろうか?
そんな事を思う。
例えにしてはあまりに立場が似通っていて、男は少し、眉をひそめた。
……もうすぐここで、戦いが始まる。
それは彼にとって、全てを賭した戦いであり、
ずっと求めてきた、最高の死に場所……。
……なのに、何故だろう。
今、彼の心には、何もなかった。
強大な敵を前にする恐怖も、
望みが叶えられる歓喜も、
憎い仇に向ける筈の、憎悪も。
……あるのはただ、虚ろな気持ちだけ。
――本当に、何故だろうな……。
心中で、呟く。
その答えは、今はどこからも出てきそうにはなかった……。
「……なに見てんだい?」
と、男の後ろから話しかけてくる声がある。
そちらに、つい、と視線をやると、そこには大きな獣の像があり、
その足元で、何かをしている人物の姿が見えた。
「さっきからじっっと見てっけど、一体何が見えるのさ?」
像の足の、ぽっかりと開いた穴に手を突っ込んで、
なにやら作業しながらその男は話しかける。
小柄な男で、外見は元服したばかりくらいの少年に見えた。
……しかし、実際はそうではないらしい。
紹介の時、ただ背が低いだけだ、と本人が言っていたのを思い出す。
その時彼が告げた名前は、ランダ。
ランダンドゥル、というのが彼の名前だった。
……自称、創作の天才。
その言葉からすれば、今彼が何かいじっているこの像も、
彼自身の作品なのだろう。
言うだけあって、確かにその像は、よく出来ていた。
まるで本当に、生きているかと思えるほどに。
「……聞こえてんの?」
いつまでも答えを返さない男に、
ランダは痺れを切らしたように視線を向けてきた。
「ああ、聞いている。」
男がそれに反応すると、呆れたように息をつく。
そして彼は、もう一度同じ質問をした。
「一体、何見てんのさ?」
さほど重要でもなさそうな問い。
何故こだわるのかわからなかったが、
特に理由があるわけでもないだろう。
そう思いながら、男は答えを紡ぐ。
「……さあな。俺にもわからん。」
その言葉を聞いた途端、ランダは表情を奇妙に歪めた。
男は正直に答えたつもりだったが、
彼にはそう聞こえなかったのだ。
一瞬後に、口を開く。
「かーーっ!カッコつけやがって。
わかってんの?もうすぐ決行だよ?」
「……ああ」
「っったく!ボーっと突っ立てるだけでお気楽なもんだ。
こっちは大して得にもならない仕事してるのに。」
よっぽど気に食わなかったのか、それともただの仕事の愚痴だろうか。
作業の手は休めずに、彼はそんな事を言う。
「……全く、割に合いやしない!」
「……ランダ。汝にも、利するところはあろう」
吐き捨てるように言ったランダに、応える声。
その声は、唐突に聞こえてきた。
二人が声の方向に視線を移すと、
そこには黒い外套で身を隠した男が一人。
「……ミトゥの旦那。」
ミトゥだ。
彼はゆっくりと崖に近づくと、その縁で立ち止まる。
「……良い場所だ。」
ポツリ、と呟いた。
「……種はすでに撒いた。間もなく相手は動こう。」
「………ああ。」
その言葉に、男は頷く。
もしかすると、そのミトゥの言葉は、
彼に話し掛けたものではなかったかもしれないが。
「しっかしホントに出てくんのか?
こんだけ用意して、来ませんでした、じゃ割に合わんぜ。」
「……確実はありえぬもの。
……ただ、可能性があるのみ。」
「……失敗覚悟ってか?冗談じゃねえって。
何とかなんないのかよ、旦那ぁ。」
「……そのための種だ。
芽吹くのを、待つがいい。」
そう言って、ミトゥはきびすを返した。
「種のまま掘り出されなきゃいいけど。」
「…………」
ランダがそんな憎まれ口を叩くが、
一瞥さえくれず、そのまま通り過ぎる。
場所を見に来ただけだったのだろう。
実にあっさりと、去っていこうとしていた。
「ミトゥ。」
そんなミトゥを、男は呼び止める。
彼は一時、足を止めた。
「……あの日、声をかけてくれた事。
今、この場を用意してくれた事。
……感謝する。」
「…………」
男の言葉に、しかしミトゥは応えず。
そのまま彼は、いずこかへ去っていった。
後に残った二人は、その背中をしばらく見送る。
「……旦那、相変わらず無愛想だねぇ。」
そんな事を呟き、作業に戻るランダ。
「……しっかし、わっかんねぇなぁ。」
ひとり言のようにも聞こえるが、
明らかにそうでない声をあげる。
手を動かしながら、ちらり、と男の方を見た。
「……何がだ?」
「あんたの望みさ。」
男が促すと、ランダは言う。
「なんだって、死に場所なんか求めてんの?
オイラにゃあ理解できねえ。」
「……それは、わからないだろうよ。
絶望を、知らなければな。」
「純粋に敵討ちってんならまだわかるんだけどねぇ。」
「…………」
それも、男の目的の一つではある。
……復讐。
誰に、ではなく、トゥスクルという国に対しての。
「……あいつらとの戦い。その中での死こそが、俺の望み。」
確認するように、彼はその言葉を語る。
守るべき者、未来への夢、掴むべき幸せ……
それらは全て、失われたもの。
なればこそ、彼は復讐を求める。
復讐の中での、死を願った。
「ハッ、その挙句が、戦いに負けて生き延びたら止めを刺せってか?
おかげでこっちは余計な仕事させられてるってのに」
「…………」
その言葉に、彼は応えない。
背を向けて、その場を後にする。
……そろそろ、戦いの準備をせねばならなかったからだ。
「おい、あんた!!」
その男の後ろから、ランダは言葉を投げかける。
「言っとくけど、オイラは遠慮しねえからな。
あんたが生きてようと死んでようと、やるこたきっちりやらせてもらう。
死にたがりに情を覚えるなんて、割に合いやしねえからな。」
「ああ、それでいい。
……短い間だったが、世話になった。
常世にて、お前に大神を加護を祈っていよう。」
「……冗談。
シャクコポルのあんたが祈る相手は、
オイラ達と正逆だろうに。」
……違いない。
そう言って男は、その場を去った。
後に残ったランダは、それを見送り、一人呟く。
「……オイラには、
あんたが死にたがってる様に、見えないんだけどな。」
……その呟きを聞く者は、誰も、いなかった……。
――オンヴィヤーナ。
……その砦はトゥスクルの南方、国境に程近い位置にある。
大陸を西から東へ横切る山脈を南に、
この砦から隣国へ続く山間道までの道も開けていた。
収容人数もそれなりに多く、
南方に兵を送る際には、ここが一時的な駐留場所になる。
それは裏を返せば、南方よりトゥスクルへ攻める際の、
重要な拠点になりうるという事だった……。
……それが故、この砦の守りは堅い。
篭城すればまず落ちはしない、と言われるほどだ。
しかし、それも相手が普通の兵であればの話。
強大すぎる力には、抗しきれない。
――アヴ・カムゥがこの地にいる。
それは、その事実だけで充分、
トゥスクルを脅かすものなのである……。
……さて、その砦から少し離れた森の中。
薄暗い木々の間を、歩いている一団の姿がある。
それはオボロ、ドリィ、グラァとその配下の男たち数人に、
カルラ、トウカを加えたアヴ・カムゥ調査団であった。
「間違いないか。」
「はい、若様」
「木の上に印がありました。」
「と、すると次はこの方向か……。」
木の上から降りてきたドリィとグラァの報告に、
次に進むべき方向を指し示すオボロ。
その方向に、オボロ配下の屈強な男達が、
その身に似合わない軽やかな身のこなしで先行する。
今彼らは、アヴ・カムゥの噂を調査していた者の内、
消息を絶った一人の足取りを追っていた……。
報告にあった場所を訪れ、各所に残された印を探す。
順に追っていけば、その内何かにたどり着く可能性が大きい。
……そういう考えからの行動であったが、それはかなり地道な作業でもあった。
とはいえ、他に手掛かりもない以上、こうして一歩一歩踏みしめて歩くのみ。
時間はかかりそうだったが、やらねばならないことなのである。
「……退屈ですわ。」
カルラがぼやいた。
こういう事に慣れていない彼女にとっては、この作業は耐え難いもの。
そして彼女は、そういう事を隠そうとする性格ではなく、
この時も、あからさまに息などついてみせていた。
「……カルラ殿、それは不謹慎では。」
トウカが咎める。
彼女たちエヴェンクルガは、耐える事を美徳とするところがあった。
それが故の言葉であったが、
邪魔な枝を切り払う際、余計な枝まで伐っている辺り、
彼女自身も苛立ちを隠しきれていない。
「どう言いつくろっても、退屈なものは退屈ですわ。
せっかく、暇つぶしになるかと思いましたのに。」
「暇つぶしとはっ……!!
……いや、いい。貴殿はこういう方であった。」
あまりといえばあまりな発言をするカルラに、
食って掛かりそうになって、トウカは思いなおす。
ここで諍いをしたところで、どうしようもない。
「……あら、乗って来ませんの?」
「もう付き合いも長い故。いちいち怒っていては身が持たぬ。」
「……一応、学習能力はあったようですわね。」
「……貴殿、喧嘩を売っているのか?」
やや雲行きが怪しくなる。
「おい、何をおっぱじめる気だ。」
なにやら怪しい雰囲気を察して、口を挟んだのはオボロだった。
――こんなところで大騒ぎをされてはたまらない。
そんな感情のこもった声。
……それも当然の事だろう。
なにしろ、彼女たちの喧嘩というかじゃれあいというか、
時にやたら規模が大きくなるのだ。
……特に、カルラが不機嫌なときは。
こんな、いつ周りに敵がいてもおかしくない状態で、
そんな騒ぎは起こしてもらいたくはない。
「だいたい、なんであんたらがついて来たんだ?
砦で待ってれば良かっただろうが。」
……それは、正論である。
まだ相手の姿さえ確認できてないのだ。
彼女達の出番は、当分先になる。
無論、共に行動する利点もあるが、
こうぼやきながらついてこられるよりは、
砦で待っていてもらったほうが良かっただろう。
そんなオボロの疑問に、カルラは一言で答える。
「だって、暇なんですもの。」
と。
「手合わせしようにも、碌な漢がいませんし。
あれではお酒の相手も務まりませんわ。」
「飲むなっ!!この非常時に!!
……で、あんたは。」
「……近くに敵がいようという時に、
じっとしていろというのは酷ではないか。」
「……もういい。」
トウカはトウカで、その理由は理屈にもならない。
思わずオボロは、こめかみを押さえた。
「……とにかく、騒ぐのだけはやめてくれ。」
「某は別に騒ぎたいわけでは――ッ!」
と、その時。
何か言おうとした途中で、トウカが言葉を途切れさせた。
「っ!!…これは……」
そこにいた全員が、気付く。
「……来ましたわね。」
……それは、多数の気配。
いつの間にか、すぐ近くまでやってきている。
「若。」
先行していた男達も、異変を感じて戻ってきた。
――これで、こちらの数は十人。
対して相手は――
「……気をつけろ。……囲まれている。」
「……申し訳ありません、若様」
「気付きませんでした……。」
「いや、いい。それよりも、襲撃に備えろ。」
謝ってくるドリィとグラァに答えながら、
オボロは二刀を構えた。
――おかしな事もあるものだ……。
彼は思う。
十人……十人だ。
これだけの手練が揃っていて、誰一人囲まれるまで気がつかなかった。
普通なら、ありえる話ではない。
「一体……?」
呟きながら、周囲に気を配る。
オボロ達は自然と、ドリィ、グラァを中心に円陣を組んでいた。
「…………」
空気が、張り詰める。
ほんの一瞬、それが揺らぎ――
――来る!
「ッッ!!」
木の陰から飛び出る人影。
迫り来る何かを、オボロは斬りつける。
鈍い音と共に、そいつは弾かれた。
「――爪っ!?」
感触が、金属のそれではない。
硬化した爪。
地に伏せる襲撃者の姿を見て……オボロは叫ぶ。
「こいつらッ!!仮面兵ッッ!!」
その顔を覆う奇妙な仮面。
それは、人体の能力を極限まで引き出すもの。
かつてクンネカムンで相対した、もはや人ではない人間達……。
「なんでこいつらがトゥスクルにッッ!!」
声に呼応したわけでもなかろうが、すぐに仮面兵が起き上がる。
再び振るってくるその腕を、オボロは刀で受け止めた。
「クッ!!」
「若様っ!!」
動きの止まった仮面兵めがけて、グラァが射る。
矢に貫かれ、仮面兵はよろめいた。
それでも動きを止めないそいつに、オボロは刀を打ち下ろす。
倒れ伏す、仮面兵……。
だがほっとするのも束の間、
その後ろから、新手が飛び出てきた。
「ッ!!」
一息つく暇もなく、再びそれに相対する。
他の面々も、次から次へとかかってくる敵に、
それでもひるむことなく立ち向かっていた。
「……厄介な!」
そう言ったのは、トウカだ。
相手の爪をかわしつつ、すれ違いざまに柄で仮面を叩き割る。
単純ではあるが、仮面兵には効果的な倒し方だった。
「次ッ!!」
言って、視線を移す、その時……。
……彼女は視界の端に、影を見た。
「――あれはッッ!!」
木々の向こうに、漆黒の鎧。
クンネカムンの、破壊の鬼人。
……アヴ・カムゥだ。
鬼人はトウカに背を向けて、走り出す。
「ッッ!!ここは任せたッ!!」
トウカが飛び出した。
鬼人の背中を追って。
「ッ!!あの猪突猛進娘っ!!
後は任せましたわッッ!!」
「な――――ッッ!!」
カルラがそのトウカを追いかけた。
「馬鹿ッッ!!深追いするなッッ!!」
オボロが叫ぶが、届かない。
二人の後を追おうにも、仮面兵から逃れられない。
「クッ!!」
彼は薄闇の中に消えていく、
二人を目線で見送るしかなかった……。
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