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『桜酒』
「という事で、私は奴隷になったんですわ」
そう言って、カルラは酒を一気に煽った。
仕事が終わり、床に就こうとしていたハクオロをカルラが拉致。強制的に酒盛りに連れ出した事が始まりだった。まあ、いつもの事だ。が、その場に珍しくベナウィが混ざり、味わいながら酒を飲んでいた。
「そう言えば、大将は何か酒の肴は無いんですかい」
クロウが問う。一般的に酒の肴はつまみなのだが、エルルゥから注意された事もあり、食料は調達できずに話を肴に酒を飲んでいた。
「そうですねえ」
言われ、ベナウィは考える。その横でハクオロの肩に頭を乗せていたカルラが口を出す。
「どんな話でも結構ですわ。あなたは滅多に自分の事を話したりしませんもの」
「それはそうと、カルラ殿。何故殿の肩に頭を乗せているのだ?」
「あら。これでも我慢しているのですよ。本当なら、あるじ様に膝枕して欲しいんですから。そうしたら色々して差し上げられますのに」
「な、ななな、何を言っておられるのだ、破廉恥な」
「あら……」
ハクオロが顔で思いっきり止めてくれと懇願しているが、気にせず言い合う二人。そんな二人を無視して、真剣にベナウィは考えていた。と、その視線が止まるその目に映ったものは杯だった。
一瞬、目を閉じると、すぐに目を開けて呟いた。
「そうですね。なら、私に酒を教えてくれた人の話をしましょう」
静かだが存在感のある声に、さすがの二人も黙る。その沈黙を合図に話を始めた。
「師匠。真面目に教えてください」
ベナウィの声に師匠が顔を上げる。長く垂れた耳、武人としてのエヴェンクルガの証がそこにはある。が、師匠の正式な役職の師剣術指南役と言うには名ばかりで、教えている事はただ、数時間の走りこみ。その後軽く運動程度に剣を教え、訓練を終える。そんな日々が続く中、とうとうベナウィが代表として師匠に文句を言った。
「ん?そう言うからには、強くなったんだな」
酒を口に含み、ベナウィを見る。頬は朱に染まり、目はトロンしている。なのに、瞳が宿す強さの輝きは消えていない。その目を見据え、ベナウィは続ける。
「ええ。毎日走らされてますから」
丁寧だが、とげを含んだ言葉その言葉を聞き、師匠は立ち上がった。
「なら、客観的に見てやるさ。構えな」
そう言い、静かに構え、刀に手を掛ける。いつでも抜刀できる体勢。対してベナウィは刀を抜き放ち、正面に構えた。初手さえ封じれば、いつでも攻撃できる。
「いつでもどうぞ」
ベナウィが言う。相手はエヴェンクルガ。しかし、今の師匠は酔っ払い。通常の半分以下の相手にベナウィは本気になれなかった。
「んじゃ、行くぜ」
そう言って、彼は抜刀した。
「その時の勝負は、完敗でした。後ろに飛ばされ、尻餅を付かされましたから」
そう言い、杯を口に持っていき、飲み干す。
「すげえ。いくら大将の師匠様だからって、うちの大将を吹き飛ばすとはな」
信じられないと言う感じでクロウが呟く。ハクオロ以外で、ベナウィが負ける所など、クロウは見たことが無かったからだ。
「伊達で『月光』と呼ばれていなかった訳です。それを、痛感しました」
「『月光』、ルーナ殿か?」
「知っているのか?トウカ」
トウカの言葉にハクオロが尋ねる。その言葉にトウカは頷き、口を開いた。
「はい。エヴェンクルガの唯一の変わり者。忠義ではなくお酒で雇われる事もあるとか聞いています。が、実力はかのゲンジマル様に匹敵すると噂されてました」
その言葉に膝に頭を乗せていたカルラがピクと動く。気にはなるが、ハクオロにとってはそれ以上に気になるのが、ベナウィの師匠ルーナの存在だった。
「それで、どうしたんだ」
「はい」
杯に酒を静かに汲み、再び話を続けた。
「まだまだだな。下半身がなっちゃいない」
そう言うと、少し笑みを浮かべ瓢箪に入った酒をノドに流す。
「我々は騎馬隊です。下半身の代わりに馬があります」
「まあ、普通はそうだわな」
一息つき、ベナウィの言葉に答える。その言葉は何か含んでいた。
「じゃあ、馬が無ければお前は戦場で死ぬな」
「な」
目を見て真剣な答え。しかし、端的なひと言に蒸気のように怒りが込み上げた。そんなベナウィを見てルーナは嬉しそうに笑った。
「若いねえ。まあ、そうじゃねえといけねえけどな」
「答えになってませんよ」
「ん?さっきのか?」
ええと、べナウィが言うと刹那に表情を真剣に戻した。目に輝きが再び灯る。
「オレがお前の相手なら、まず馬の首を狙う。そうすればお前の機動力は無くなり、馬の無いお前さんらは進軍の勢いさえ遅らせるだろうさ。特に騎馬隊の要たるお前がいなくなれば、その後の戦況に影響が出ることは必死だ」
「た、確かにそうですが」
「なら、どうするか。簡単だ。馬を失ってもお前は生きればいい。その為に必要なのは強靭な足腰だろ?下半身を鍛えていないのに剣の腕だけつけても所詮は付け焼刃と代わらんよ。弱点を見出し、そこを鍛えるのも剣術指南役の務めさ」
「そう言った後。『ま、おれはその間、オレは酒が飲めるから嬉しいがな』といって笑って酒を飲んでいました」
「いや、そうではなく」
「ルーナ殿は今はどうなされているのだ。あの方が簡単になくなるとは思えぬが」
ハクオロの言葉をトウカが代弁する。その問いに、一瞬ベナウィは沈黙した。
「なくなりましたよ。私の手によって」
絶句。そのひと言は皆から言葉を奪った。
「あれは、インカラ皇が即位されて間もない頃でした。その当時起こったクーデターに巻き込まれたのです。反皇帝派の筆頭として。師匠は抵抗せずに捕まりました」
酒を流し込み、話を続けた。
「その時、処刑前夜。私は師匠に会いに行きました。そして」
「逃がそうと、したんだな」
ハクオロの言葉にベナウィは頷いた。
「よ、3日ぶりだな」
「4日ぶりです。師匠」
「あれ〜。そうだったか?」
そう言い、ルーナは笑う。が、そんなルーナの笑い声にクスとも笑わずベナウィは立っていた。
「なんだよ。辛気臭いなあ、もう少し楽しんだり笑ったりしても、罰は当たらんだろうが」
「なんで、笑えるんですか」
絞りだすような声。俯いたままベナウィは言った。
「……」
答えない。が、顔を上げると笑みを隠して呟いた。
「決めたからさ」
「え」
ルーナの顔を見る。その目には突き抜けた晴れ間のように壮観な顔つきをしている。死ぬ直前の人間とは縁遠い顔だ。
「ここで死ぬって決めたからさ。そしたら後はどうでも良くなってな。ああ、唯一の心残りといえば酒を飲みてえってことだな」
そう言ってまた笑う。その笑みがベナウィにはたまらなく憎かった。
「なら、お酒を飲みに行けばいいでしょう。あなたにはその位の力があるはずです」
言われ、笑顔が消える。そして、寂しそうに答えた。
「魅力的な提案だけどさ。止めとくわ」
「また『我慢』ですか。確かに上に昇るにつれ、我慢する事はあります。ですが」
「一国の将なら。周りを見渡せよ」
それ以上を言わせない。ルーナが張り上げた声にはそんな意思が込められていた。
「オレが逃げた後、どうなると思う?」
「国は今よりはましになるでしょう」
そう言うベナウィの答えに横に首を振った。
「それは、短期的だ。長期的に見れば、滅びるよ。しかも、その所為で死ぬのは罪なき、民衆だ」
そんな事はない。そう言いたかったが、言う前にルーナは言葉を続けた。
「今、この国が外周から襲われないのは、単にエヴェンクルガのオレと、若き侍大将のお前がいるからさ。もし、このまま、逃げればオレは、再び反皇帝派に担ぎ上げられるだろうし、それに担がれる前に周囲から滅ぼされる」
「ならば、貴方が皇になれば……」
ベナウィにとって、今仕えるべきはルーナのみだった。この人なら、民をよりよく導いてくれると、信じていた。が、その言葉にも、ルーナは首を縦に振らなかった。
「エヴェンクルガの強さはな。心の弱さに比例するのさ。まあ、例外はあるけどオレはそう思う」
静かで穏やかな声。素面のルーナはこうなのかと、考えさせられるほど、いつもとは違っていた。
「怖いんだよ。オレは人を斬り過ぎた。いつ、人斬りの誘惑に負けるかもしれない。そんな男が皇帝にはなれないよ。酒と言う自制剤が無いといつ欲望に負けるかもしれない男が皇帝になった時、誰が止めれる?」
「そんな……」
考えてなかった。この人はただの酒好きそう思っていたのに。それなら良かったのに。まさか、酒で自身を抑えていたなんて……。
「それに、オレが処刑されれば、周囲の国はエヴェンクルガを殺せるほどの力があると思い、牽制して手出しは出来なくなる」
自分の命でさえ道具に扱う。この人はなんでこれ程この国に尽くしてくれるのだろう……。
「なんでだったんだ」
「子供達が好きだから。だそうです。今を耐え、未来に歩いていける子供が何より好きだと言ってました」
「ルーナ殿……」
感慨深げにトウカが呟く。
「なあ、トウカ」
しみじみしていた所に無粋な声が入る。オボロの声だ。
「お前もそうなのか」
「某はそんな事はござらん。確かにその様な輩もいる事は認める。忠義のためと偽り、自らを戦場に置くのがそう言う輩だ」
「けど、お前も自制心は無い方だよな」
「な」
オボロの言葉にトウカが絶句する。その瞬間、ハクオロの膝に頭を預けていたカルラが起き上がり、小さな声で呟いた。
「今日はお開きにした方がよさそうですわね」
そう言うと静かに場を離れる。その後に続き、ハクオロ、ベナウィ、クロウが退散した。
「人形を壊れたで暴れ、なくした位で早馬追いかけるわ十分自制できてないと思うぜ。なあ?」
と尋ねる。が、二人きりの部屋で他に答える者はいなかった。
「あれ?」
小刻みにトウカが震える。そして……
「くけ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」
一瞬姿が消えたと思うと、次の瞬間にはオボロの懐に入り込み、みぞおちを抉るように殴る。その一瞬でオボロの体制が崩れる。
「き〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」
遠くで音が聞こえる。学習能力の無い男の断末魔の叫び声が木霊する。
「明日の訓練は遅く始めた方がいいですね。クロウ、明日の訓練はオボロの部隊と合同で行って下さい」
「うぃっす」
ベナウィの言葉にクロウはそう答えるしかなかった。
侍大将として始めての仕事それが、ルーナの介錯役でした。
「言い残す言葉はないですか」
お決まりの言葉。その言葉に帰ってきた言葉は。後を頼む。それだけです。その言葉を言い残し、彼はこの世から去って行きました。
私は、その後侍大将としての仕事を淡々とこなしていました。後を頼むと言い残した彼の遺言を心に持って。
インカラ皇に仕えているという意識は全くありません。この国の民を護る。その事だけを考えて業務に打ち込んでいました。
その後、クロウと言う頼れる副官が出来、そして少ない被害で私の護るべき国はなくなりました。
今、私は……。
「聖上。……ハクオロ皇に仕えています」
手に持った瓢箪から酒がこぼれ、墓に注がれる。酒はカルラに教えてもらい一番美味しい物を分けていただき、そして師匠の形見に入れ、師匠の元にこの酒を流した。
「民の事を第一に考え、誰にも分け隔てなく接してくださる。私には過ぎた主です」
聖上の前では言えない言葉。でも、この墓の前だと素直に言えた。
「貴方なら、『何でも溜め込むな』と言うのでしょうね」
それが、生前、師匠が私に対して言った文句。
階級が上がるにして、我慢する事が多くなる。けど、そこまで溜め込むと体が壊れるぞ。
そう言って、貴方が私に与えたのは酒でした。それ以来、酒を飲むたびに貴方の事が思い出され、溜め込んでいた物が消えていくような気がします。
「ですが、私が溜め込んだモノがいえる場所はここだけで十分です」
流れる酒の勢いが徐々に少なくなってくる。そして、雫だけになった。
「私の我慢で民が幸せになるなら、それだけで十分です」
その言葉と、酒がなくなるのは同時だった。酒が無くなり、私は腰を上げる。
「それでは、また来ます。手土産に、貴方の大好きだったお酒を持って」
その後は、振り向かずに帰る。それがいつもの私でした。振り返ると過去に縛られそうで。今の仕事に差し支えそうで嫌だった。ですが。
気紛れなサクラの花ビラが私を振り向かせた。
師匠の墓の横に植えられた一本のサクラ。その花吹雪が、少しだけ、私にご褒美をくれたような気がした。
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